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2000.5.6
タイム・カプセル


私が中学生の頃に大流行した「タイムカプセル」。
思い出として残したい品々をカプセルに詰め込み、それを地中に埋めて何十年後かに掘り出すという企画で、何故あの時期だけに多かったのか理由が良くわからないのですが、とにかくそういうのが全国で流行っていたのです。

私が通った恵庭市立恵明中学校でも、中2の時に開校5周年の記念行事としてタイムカプセルを校庭に埋めており、そのカプセルを開ける日が2000年の子供の日=昨日でした。
同窓会等に積極的に顔を出すほうではない自分ですが、さすがに気になるものがあり、本当に久しぶりに中学校に行ってみました。

ところで先日、とある学校で同様にタイムカプセルを開ける行事が卒業生一同の参集のもと盛大に行われたものの、掘ってみたらカプセルが何処にもなかったという実に痛々しい報道があったのをご覧になったでしょうか。
最後は重機まで登場し、掘りに掘ったようですが、結局どこにもなかったとのこと・・。
その場の空気を想像すると、人ごとながら背筋が寒くなりますね。

この事件(または事故)は、同様の行事を抱える列島の学校をさぞかし震撼させたことだろうと私は思います。
私の母校のカプセルも、その存在自体を確かめるかのように事前に重機で掘り出され、式典はそのカプセルをお披露目するという内容にさりげなく軌道修正されておりました。


掘り出された当校のカプセルは長年に渡る地下水の影響により殆どが水浸しになっており、自分がカプセルに入れた品もつまらない残念なものばかり。
まあそれはそれとして、20年ぶりに友人達に会う機会はやっぱり何にも代え難いものでした。

こうした機会を私達に与えるために、このカプセルは20年以上も水没しながら、消えてなくなりもせず耐えていたのでしょう。
ありがとう、オレンジ色のタイムカプセル。




2000.5.7
続・タイム・カプセル


さて上記の通り、そのタイムカプセルに自分達が入れたものは殆どが水没していましたが、誰が入れたのか、当時の少年サンデーが比較的良好な状態で出土しました。

元来こうした物に弱い私なので古本屋等でも時々購入したりするのですが、望外にこんな場所で出くわしたので、お願いして貰って来ました。
入手したのは1978年5月21日号で、「がんばれ元気」はデビュー戦に向けてトレーニング中、「まことちゃん」は一家で自動車学校に通っており、「プロゴルファー猿」は賞金40万円を手にしています。

ところでこの頃の少年誌を見て気が付くのは何と言ってもその絵のタッチで、完全に「劇画調」が主流になっていること。
私が以前購入した1974年の少年ジャンプと比較するとその違いが良くわかるのですが、わずか4年しか違わないので全体のトーンが全く違います。

1974年の少年ジャンプの方も大変豪勢なラインナップで人気漫画満載なのですが、劇画調の「アストロ球団」と「侍ジャイアンツ」が胸焼けするほど目立ってはいるものの(右)、従来タッチの「プレイボール」や「ど根性ガエル」、「トイレット博士」なども、依然として存在感十分です。

ところが4年後の少年サンデーは、一作品を除いてすっかり劇画調で、その一作品も「ダメおやじ」。「従来タッチ作品」の凋落ぶりがうかがえます。

左は当週のダメおやじの第1コマ目なのですが、開口一番「ダメおやじ」、続いて「いいバイトが見つかったぞ」です。
念のため確認ですが、これは自分のアルバイトが見つかったと言っているのではなく、夫であるダメおやじのバイトが見つかったと言っているのです。
ちなみにこの御婦人の名前は「オニババ」です。
ダメおやじは、「どんな仕事?」と聞いていますが、既に汗を流していますね・・。

仮にこの「ダメおやじ」が劇画調であれば、さぞかし凄惨な漫画に仕上がっていたことでしょう。
この時代の少年誌は見所満載。また機会を見て取り上げることと致しましょう。




2000.5.24
酒とフォークと芝居と演研


かつて大学の演劇集団「青テント」で一緒に芝居をやり、現在、東京近辺に住んでいる連中で酒を飲みました。
私も幸い現在まで芝居に関わり続けることができているため、同世代だけでなく最近の公演で一緒になった人間もいて、結構幅広い年代で飲みました。

飲み会における当時と現在の最大の違いは、もう何と言っても「ビールが飲めるようになったこと」、これに尽きましょう。
その頃は何しろ所持金がないため「スタートから焼酎」というのは常識で、それも「サッポロソフト」というハードな廉価品でしたが、さすがに東京では間違っても出て来ないので安心です。
このサッポロソフト(愛称SS)というお酒は大学の8年間で一体何リットル摂取したのか想像もつかない程で、考えるだけで気持ち悪くなってきますが、このSSについてはまた別の機会に。

飲んでいるうちに24時も簡単にまわり、適当な場所も見当たらないので3次会はカラオケボックスに入って飲むことにしました。
しかしこのメンバーの場合、カラオケボックスに入っても「歌を入力する」という行動様式が全く身についていないため、インタフォンも酒を注文するためだけに機能し続けています。
場所は渋谷のど真ん中、フロア全体が物凄いテンションで盛り上がっている中にあって、この部屋はさしずめブラックホールのような存在です。

しかし午前2時を回ったあたりで、ついに1人が歌うと言い出しました!
「おー!!!」 「何歌う?何歌う?」と年甲斐もなく盛り上がる中、彼が選んだのは吉田拓郎さんの「落陽」でした。

私は唸りました。
きっと彼の「歌の世界」の時計の針は、70年代止まっているのでしょう。
「みやげにもらった〜サイコロ2つ、手の中で振れば〜また振り出しに〜」

しかし気が付くと私達はこれを全員で合唱していました。
うーんフォーク。やはり恐ろしいジャンルです。
あっという間に皆の心をひとつにしてしまい、一歩間違うと私達は手を取り合って歌っていたかもしれません。

みなさんも次に気の合う数人でカラオケに行ったら迷わずフォークを入力してみましょう。
ただしここは「気の合う人と行く」ことが大変肝要で、初対面の人の前でフォークを熱唱してしまうのは心がひとつになるどころか、修復し難いほど離れて行くように思いますので注意しましょう。




2000.5.28
Sonny Rollins Japan Tour


今日はソニー・ロリンズさんの東京公演の日。
ソニー・ロリンズさんはテナー・サックス奏者でモダン・ジャズ界の巨匠です。

ここで最初に留意が必要なのはジャズやブルースの世界にある「モダン」という言葉で、「モダンというくらいだから、90年代に現れた新星か何かか?」などと思われがちですが、この世界で「モダン」とは1940〜50年代のことを指しています。

「モダンジャズ」という言葉をうっかり「最近のジャズ」などと直訳してCDなどを購入してしまうと大変で、家のスピーカーから飛び出したあまりに渋い世界に仰天し、ジャケットを確認すると 【1950年・モノラル】といった記載を発見してしまうということになりますので注意しましょう。

ロリンズさんもモダンジャズの巨星で、もう70歳。現存する数少ない当時のミュージシャンの1人と言って良いでしょう。
私も自分のバンドで僭越ながらロリンズさんの曲を弾かせて頂いておりますし、この機会を逃してはなりません。行って来ました、中野サンプラザ21列47番。

ロリンズさんの音のポジティブなことと言ったらありません。
ライブは得意のラテン風の曲から始ったのですが、センターから気持ち下手寄りにスッと立ち、時にはテナーを頭の上までグッと持ち上げながら吹くロリンズさん。
楽しい、楽しい!いいぞ、いいぞ、ロリンズさん!

最後の曲、曲の途中でマイクに近付き、しゃがれた声で「また会いましょう」と日本語で言いました。
その直後から始まった最後のソロの凄かったこと!
私は心拍数が早くなり、どんどん高まっていくのですが、こんなところで満足してもらっては困るとでも言っているかのように、ロリンズさんのソロは火を噴き続けます。
ヤバい!これではこっちが持ちません。

何とか感情をコントロールしようとするのですが、そのうち涙も出てきて右目のコンタクトレンズを流してしまいました。
新たに始まった「左目1.5、右目0.1」という倒錯した世界が、より一層私の感情をグチャグチャにかき乱します。

曲が終わって、割れるような歓声の中、こちらに手を上げ、バックステージに戻るロリンズさんは、やっぱり70歳の歩き方でした。そう、彼は間違いなく70歳なのです。
それなのにあんなに楽しい音楽が出来るとは!
私はこの先少なくとも10年分くらいの燃料をもらったような気持ちになりました。

ありがとう、ソニー・ロリンズさん!