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NHKは1925(大正14)年3月22日、東京芝浦の仮放送所で放送を始め、その年の7月12日に愛宕山に建てられたJOAK東京放送局に移り本放送を開始しました。 |
「汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として・・・」 |
日本のテレビジョンの父といわれた高柳健次郎さんが、昭和の初め、実験に成功し、製作した日本で最初のテレビが復元して置かれています。 当時ブラウン管に写し出されたのと同じ『イ』の字が鮮やかに輝いています。 ラジオ放送開始のころ一般に普及していた「さぐり式鉱石ラジオ」、当時の最高級ラジオだった「6球スーパーへテロダイン」、2・26事件での「兵に告ぐ」の放送原稿、終戦の詔書を天皇みずから読み上げた「玉音放送」の録音盤、放送技術の進歩を物語るカメラや、マイク、昭和の初期から研究を始めていた珍しいテレビの数々など、実物だけが持つ時代性が迫ってきます。 |
竹中直人の誘いはことわれない。 あんなに元気に酒に誘うヤツは、どこにもいない。 あの誘いっぷりには覚えがあるぞ、と考えていたら、小さい頃、家の外から「遊びましょ」と叫んでいた近所の子どもを思い出した。 その声がかかると、俺はもう、いても立ってもいられなかったものだ。 竹中君はよくしゃべる。次から次へと映画の話をくり出してくる。楽しくて楽しくて仕方がない「男の子」がそこにいる。それは、昆虫や野球選手のことを夢中で話していた子どもたちと、何にも変わらない。 もし違いがあるとしたら、今は、日が暮れるかわりに夜がふけ、なけなしの小遣いで買ったサイダーのかわりに、あの頃親父たちでさえ口にできなかったヘネシーが、かぐわしくふたりの前にあることである。 忌野清志郎
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「この絵はちょっとおかしい」。 札幌市厚別区の会社員桧山聡さん(43)の長男葉行君(5)が、絵本「十五少年漂流記」に描かれている海ガメの挿絵に「誤って陸ガメが描かれている」ことに気づいて出版社に連絡。 出版社側はこのほど重版する際、指摘された絵を差し替えることを決めた。 |
指摘を受けたのは、十五少年が乗る小型船が流れ着いた島で、海ガメが陸に上がったまま動けなくなり、子供がカメの甲羅の上で遊ぶ様子を描いた場面。 葉行君は「絵本の海ガメの挿絵にはつめが描かれているが、海ガメの前足はヒレ状。つめがあるのは陸ガメでは」と、出版社に手紙で誤りを指摘した。 葉行君は通っている保育園の仲間と一緒におたる水族館に数回、出掛けたことがあり、海ガメの特徴を覚えていた。 毎晩のように両親が絵本を読み聞かせるうちに葉行君が十一月初旬、誤りに気付いたという。 |