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2001.3.5
カンパイ・ラガー・ラガー・Year!
 

キリンラガービールのCM。
私はいかりや長介さんが大好きで、久しぶりに楽器を弾いているのを見て本当に嬉しく思いました。

以下はキリンビールのホームページに掲載されたCM解説です。
おなじみ「カンパイ!!ラガー」の曲をジャズ風にアレンジして、かっこよくベースラインを奏でます。
そして演奏後は、満足げにラガーでのどを潤します。
ジャズ風??
そんな。ねえ。どう聞いてもベイ・シティ・ローラーズじゃないですか。だからこそ好きなのに。
いかりやさんの弾くベースラインと「カンパイラガー」のリズムはSaturday Nghtのイントロそのもので、「おーそう来たか!」と私はテレビジョンの前で興奮したものです。

この程度似ているくらいじゃ著作権にも触れず、わざわざ断る必要もないのかもしれませんが、「ベイ・シティ・ローラーズをモチーフにした」と書いた方がむしろカッコいいと思うのですが。
まあでもこのCMのおかげで久しぶりにベイ・シティ・ローラーズを聴き直しました。カッコ良かったー、ベイ・シティ・ローラーズ!


ところでCM解説の後半には更に次のような記述がありました。
いざ撮影となり、1回目の収録で完璧にメロディを弾きこなすと、周囲から割れんばかりの拍手が贈られました。
それもそのはず、実はいかりやさん、ドリフターズ時代にビートルズの前座でベースを弾いたことがあるほどの腕前なのです。

「ビートルズの前座でベースを弾いたことがある」のは確かに事実なので良いのですが、それ以前に、当時のドリフターズが「腕前」を見せる立場として出演していないことは、ビートルズ日本公演パンフレット写真を見るまでもなく明らかです。
今やウクレレブームの一翼を担う高木ブーさんが、当時既にウクレレを持っていることは何か感慨深いものがありますね。




2001.3.8
神谷バー



新聞のお悔やみ欄に、浅草「神谷バー」の社長が亡くなった記事が載っていました。

御存知の方はたくさんいらっしゃると思いますが、「神谷バー」は浅草1丁目1番にある「日本ではじめてのバー」。
そして「電気ブラン」なる不思議飲料(一応"カクテル")を生んだ店です。

私が「神谷バー」を知ったのは、大学時代に読んだ唐十郎さんの戯曲「ビニールの城」。
「ビニールの城」は唐十郎さんが石橋蓮司さん・緑魔子さんの劇団「第七病棟」のために書き下した作品で、時代は80年代中盤。
かつての映画館で既に閉館となっていたという浅草の「常盤座」で上演されています。既にアングラな感じ満点ですね。
腹話術師"朝顔"と彼を想うビニ本の女"モモ"が主人公の物語という以外、とても私には上手く伝えられませんが、唐十郎さんという劇作家、第七病棟という劇団の存在、更に閉館となった映画館というハコ等、周辺のいろいろなファクターがまたやたらと刺激的に感じたものです。
その舞台となっているのが「神谷バー」でした。

もちろん私は常盤座での公演など観る術もなく、その後、第七病棟がこの芝居を引っ提げて札幌に来た時も観ていません。
しかし、せめてと思って読んだ戯曲にはさすがに惹き付けられるものがありました。

ほうぼう舎という劇団を旗揚げしたり、倉庫で公演を打ったり、という当時の自分の状況が戯曲の世界に引き込ませたという一面も確かにありましょう。
しかし実際に観てもいない台本に、これほどドキドキして、切ない気持ちになって、熱くなって、読後グッタリするのですから、やっぱり戯曲そのものの魅力なんでしょうね。

以来、ローリングストーンズの日本公演や、当時手伝いでギターを弾いていたバンドの東京でのライブ、就職時の面接試験・・・
大学時代に上京する機会があるたびに、私は常に必ず、欠かさず、神谷バーに行くようになりました。


ところで実際の「神谷バー」は、思った通りの怪しげな魅力とアングラ感の溢れる空間だったかというと、また別です。
いや、別も何も大違いで、店内は地元浅草界隈の常連のオッサン達と、昔の思い出や記憶を辿って地方からやって来たと思われるこれまたオッサン達がまっ昼間から赤い顔して大フィーバーしており、「ビニールの城」で見た薄暗く怪しい雰囲気を胸に抱いて訪れた私は、入口でしばし立ち尽くしました。
「こ、これは・・・」

自分の想い入れとのギャップもさることながら、そもそもここを「バー」と呼んで良いのでしょうか。

ところが、このオッサン達が昼から飲んで楽しんでいる雰囲気が実に良いのです。
なるほど、これが浅草1丁目の「神谷バー」なのですね。

そして「神谷バー」といえば、やはり「電気ブラン」。
「電気ブラン」。気になるネーミングですね。次回はこの電気ブランについて。




2001.3.9
電気ブラン



私の部屋には昨年購入した電気ブランのボトルがあります。上はその箱に印刷されているロゴ。
このロゴは、いかにも「当時のシロモノ」という魅力に溢れています。
コンピュータなどもちろん無い時代のこうした商品ロゴは、どれも手書きのレタリング。
よく見ると線のにじみ、直線のちょっとしたはみ出し、色の重なりなど、「手作業の跡」が残っています。

箱の裏にある「電気ブラン」の解説を見てみましょう。
浅草浪漫の味-----
デンキブランは明治の頃から浅草の代名詞とされてきたお酒です。ブランデーやワイン、ジン、ベルモット、キュラソーなどのカクテルで、その処方は今だもって秘伝となっています。いわば「夢のカクテール」と申しましょうか。

夢のカクテール!
今日以降、私達はもう「カクテル」という言葉を使うことはありませんね。そう正しく「カクテール」と呼びましょう。

続いて電気ブランの名前の由来が記載されています。
明治の頃は、まだ電気が珍しく、目新しいものというと「電気○○」などと呼ばれ、デンキブランはハイカラなものとして、人々の大きな関心を集めたものです。
「電気」という発明品に対する驚きが伝わりますね。

これを書きながら電気ブランを飲んでしまい、昼だというのに酔っぱらってきました。ではまた明日。




2001.3.12
五島プラネタリウム


渋谷の東急文化会館の屋上にプラネタリウムがあって、少々古めかしいそのドームは高層ビルの陰に隠れがちではあるものの、懐かしさもあって目を引きます。

プラネタリウムというのはあらゆるものが軽薄短小化している昨今にあって数少ない「大がかりな装置」で、装置本体の動作や投影の原理など、細部にわたり独特の魅力を感じます。実際、投影機自体のウニウニとした動きや、弁士(とは言わないのでしょうが)の肉声による説明と、魅力を挙げるとキリがありません。

さて渋谷のプラネタリウム。
御存知の方も多いと思いますが、これは「五島プラネタリウム」といってなかなか由緒あるプラネタリウム です。
その五島プラネタリウムが昨日、44年間のお勤めを終えて閉館しました。

説明によると、
人類初の人工衛星が打ち上げられた1957年4月、東京急行電鉄株式会社(会長 五島慶太)の寄付によって開館。
東急文化会館屋上で銀色に輝くドームは渋谷のシンボル的存在として多くの人に親しまれた。
人工衛星が打ち上げられた57年!まさに「宇宙時代の幕開け」という興奮のさなかに開館したのですから、プラネタリウムを訪れる人々のワクワクする感じも容易に想像できますね。

装置本体の説明もあります。
プラネタリウム投影機は、1956年にドイツのカ−ル・ツァイス社、オ−バ−コッヘン工場で製造された、型の記念すべき第1号機。
このプラネタリウムは人の手によるON-OFFのスイッチ等で、モ−タ−駆動の精密な歯車機構を制御する完全マニュアル式だが、最新のコンピュータ式のものと比較しても決して引けを取らない。
詳しいことは良く分かりませんが、要するに凄い装置なのです!

私がこのプラネタリウム閉館の話を東急線の吊り広告で知りましたが、迂闊にも直前だったこともあってチケットは既に完売。
しかしせめて雰囲気だけでも触れておきたく、昨日、東急文化会館の屋上まで行って来ました。

建物の中は、やっぱり古ぼけた懐かしい感じ。
壁なども木目調の化粧板で、なるほど40年前に出きているんだなと実感します。
一度も見ることなく終わった私にこういうことを言う資格があるのかどうか分かりませんが、やはり無くなってしまうのは本当に惜しいという気がしました。

館内には閉館を惜しんで寄せられた葉書が掲示されており、小学1年生の子供達が書いた「星のことがよくわかりました」、「とても思い出に残っています」などの大変微笑ましい葉書が並んでいました。




2001.3.16
近所のカラス


ウチの近所のカラスは大変早起きです。何羽か棲息しているのですが、なかでも早いのが2羽います。

職業柄「国会対応」なるものがあり、今年も1月から始まっているため慢性的に午前2〜3時くらいに帰宅する日々が続いています。
早く帰りたい、眠い、辛い、泣きたい・・・といったのはあるにしても、まあ仕事ですし仕方ないのですが、問題は帰宅後、せめて短時間でも熟睡せねばという時にこの2羽のカラスが早くも鳴き始めていることです。
これにより「もう朝になってしまっているのでは?」という焦りと不安が襲ってきて睡眠に集中できません。

それにしても2〜3時とはいえ明るくなっている訳でもないのに、なぜ彼らは鳴いているのか分かりません。
カラス界でいうところの学生のような存在で、寝るのが遅いということなのでしょうか。




2001.3.24
売店の魅力


市役所とか病院等の比較的大きな公的施設にはよく売店が入っていますね。 私の勤務している合同庁舎にも地下に古びた売店があります。

一口に「売店」といっても最近はずいぶん変わってきていて、昨年建てられた隣の合同庁舎には コンビニ「am pm」が入り、「官庁街のコンビニ」として結構大々的に報道されていました。

ちなみにこのam pm、実際コンビニエンスで大変良いのですが、それ以上にコンビニ独特の明るい雰囲気が殺伐とした官庁街にあってオアシスのような存在として機能しており、田舎の山道などを車で走ってようやくコンビニを1件見つけた時の感動に似た感覚が毎日味わえる仕組みです。

しかしこれは上記のとおり、隣のビルの話。
一方私のビルはというとこちらは誠にくたびれた建物で、入っているのも当然「コンビニ」ではなく「売店」です。
しかしこの「売店」が実に味わい深い魅力を放っていて、目が離せません。

地下1階の隅にあるその売店では、文房具屋、本屋、薬屋などの一般的な店が、それぞれ小さなスペースで営業しており、古くてサビれた雰囲気ながらまあまあの活況を呈しています。
しかしその他に、ネクタイ、カメラ、家電といった、どう考えても職場で買ったりしないような商品を扱う店が混じっており、当然ながら殆ど売れている様子がないため、売店全体が沈滞しているかのような雰囲気を醸成しています。

加えて見逃せないのが、売り場の中になぜか「行商用の展示販売スペース」が確保されていること。
コートやスーツ、紳士靴などを扱う行商の方が週代わりでやって来ては商品を陳列して店を構えており、さながら縁日のような雰囲気です。
こないだは盆栽が売られていました。

商品には手書きで「半額」などと書かれた札が掛かっていますが、そもそも定価の想像も付かない商品なので、その半額と言われても一向に心が動きません。
かと言って売れずに気にしている様子もなく、店の人同士の話もはずんでいます。
この行商用スペースはもはや日常の私の大きな関心事の1つなのです。

今日は、明らかにこの売店が発信源と分かる不思議な臭気で地階中が覆われています。
急いで行ってみると、そこにはコンニャク、ちりめんじゃこ、塩辛、さきイカ、わさびといった珍味類が大々的に陳列されており、さながら"日本臭気百選"といった雰囲気。
地下売店フリークの私もこれには驚きました。
行商の世界はまだまだ奥が深いのです。




2001.3.27
ラガーのCM撮影といかりや長助さん


すっかり寝坊して遅くに目を覚ました私は、焦って朝食を取りつつフジテレビの「目覚ましテレビ」を見ていたのですが、 もういい加減家を出なければという時に、突然いかりや長介さんが出演したキリン・ラガー・ビールのCMを取り上げた特集コーナーが始まってしまいました。
やはりたまには寝坊もしてみるものです。

いかりやさんが元々ドリフターズのベーシストだったことは先日も触れたとおりですが、その事実はやはり殆ど認知されていないようで、特集も「あのベースは本当にいかりやさんが弾いているのか」にスポットが当てられています。
うーん、いかりや長介さんなのに、こんな屈辱を・・・。

といいつつ御本人のインタビューの他、未公開のCM収録風景等も見られてなかなか興味深い特集になっていました。

ところでキリンビールの公式ホームページにはCM収録時の様子が掲載されており、
「いざ撮影となり、1回目の収録で完璧にメロディを弾きこなすと、周囲から割れんばかりの拍手が贈られた」
とのことだったはずですが、実際に収録の様子を見ると1回目から早速間違っています。

まあその辺は話のアヤですから良いのですが、むしろ注目したいのは間違った瞬間に「ダメだこりゃ」と口にしていることで、「ダメだこりゃ」は完全にいかりやさんの生活の一部なのだなと感心してしまいました。