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2001.4.2


昨日はとても良い天気。周囲を見ると桜が咲いています。これは上野や千鳥ケ淵は大変なことになっているでしょう。
こうしてはいられません。私も桜を見に行かなくては!

北海道以外に住んだことがなかった私にとって、咲き乱れる桜を初めて見たときの驚きはとても一言では言い表せません。
就職した10年前の4月、場所は代々木公園。
すさまじい量の桜が咲いており、風に吹かれて散った花も路上に積もっていてクッションのようです。
360度桜という光景に「これが桜なのか・・・」と言葉を失いました。
その時の感動は忘れることができません。またその後東京に住むようになった事もあって、春になると同じような光景を見たくてよく出かけるのです。

昨日もきれいでした。感動しました。
あんな花が咲いてたら、それはその下で一杯飲もうという気にもなりますって。

日本のように南北でこれだけ気候が違うと行動様式や文化なども当然違ってくるわけですが、中でも「花見」と「海水浴」は北国の人間にとって「縁遠いモノ」の両横綱的存在と位置付けています。

北海道の場合、花見も海水浴も、「暦上そういう季節だから行く」ことはあっても、「桜が綺麗で呑まずにはいられないから花見に行く」とか、「暑くて死にそうだから海水浴に行く」とかいう自然発生的な行動とは違います。
実際「夏だから」と海に行ってはみたものの、浜辺にいる全員の唇が紫色になっているという光景もそう珍しいことではありません。
しかし南国(私にとって関東は既に南国)は違います。
この信じられない暑さの中、海にでも漬かっていないと本当に死んでしまうかもしれません。

私の(真の意味での)「海水浴」原体験は15年前で、宝塚ブルーグラス・フェスティバルに参加するため関西に初めて行った時にさかのぼります。
小樽からフェリーに乗って1日半。舞鶴港に着いたという放送を聞き2等客室から甲板に出たその瞬間、私は余りの暑さに人生観が変わる程の衝撃を受けました。ホントに。
どこか赤道近くの国にでも連れて来られたのかと思うような暑さ!暑い。暑すぎる。私は死ぬのでしょうか・・・。

その時、部員と一緒に近くの海水浴場に行って入った海の気持ちよかったこと!私は22歳にして、初めて海水浴の意味とその素晴らしさを知ったのです。
海水浴、それは生きるための行為− 私にはそう思えてなりません。

昨日は日が暮れた後も夜桜を見に戻ったりと、結局一日つぶれてしまいましたが、桜を見ながらビールを飲んでとても有意義でした。
皆さんも行きましょう。




2001.4.5
桜その2


先日花見に出かけた日、とある用事でヨドバシカメラに立ち寄ったのですが、その時ついでにオモチャデジカメを購入しました。
約5千円。中国製。

画質はデジタルとは思えない低クォリティで、被写体を精緻に再現するというより、雰囲気をアバウトに伝えるといった感じです。
8ビットのサウンドとあわせ、低品質な世界をお楽しみ下さい。
今後ハシモトコウ・アワーも魅惑のビジュアル化間違いなしです。

さてこうした廉価な2級品を購入した時は、高級品を買った時とはまた違う独特の嬉しさがあり購入して地下鉄に乗っている間もニヤニヤしていたのですが、その時隣に座っていた男性2人が偶然にもデジカメの話をしていました。

1人は高級デジカメ所有の30代、もう1人はデジタルな世界とは無縁と見受けられる50代で、どちらも花見帰りで酔っています。
酔った30代は自慢のデジカメのスペックを説明しているのですが、酔った30代もこれまた独自の解釈でそれを理解しているようです。
50代「要するに48枚撮りってことだな?」
30代「いや違いますって。48メガバイトっていう容量のことなんですよ。無限に撮れるんです。」
50代「ふーん・・・、48枚撮りってのはやっぱり凄いなー。」

両者の認識の違いは会話を進めるに従ってむしろ拡大しており、全く噛み合っていません。
ただ低スペックのデジカメを購入したばかりの私は、妙に50代のオッサンの方にシンパシーを感じながら2人の会話に耳を傾けていたのでした。



2001.4.24
 マーチンD−28、修理工場へ


週末、私はギターを持ってお茶の水へ出かけました。
古本の街が神田、魚の街が築地なら、お茶の水は楽器屋の街です。
他の物ならいざ知らず、楽器屋なんてものは街に一つあれば十分なのでは?と思われる方もいらっしゃると思いますが、これがお茶の水駅前のそれほど長くない通り沿いに驚くほどの数が密集しており、しかもどこも品揃えが豊富ときています。
付近に大学が多いこともあって楽器を肩に掛けた人間がウヨウヨしているのです。

さて私のギターは、後輩の松本和茂さんから譲り受けたマーチン社のD-28という名器です。
生まれは1964年で私と同じ! 私の場合こうした点に必要以上に運命を感じ、それ以外何も見えなくなってしまうため、購入の際も変に迷わなくて便利です。

音が良いこともこの上なく、このギターとなら往く先々まで一緒に歳をとっていける−そう感じていたのですが、実はこの時代の古いギターは構造がクラシックである故、独特の変形を起こします。
早速得意の図を使用して説明しましょう。
弦を押さえる「ネック」と呼ばれる棒状の部分が、弦自身の引張力で持ち上がってしまうのです。
すると弦と押さえ込む指板との間にどんどん距離が!!これは弾きにくい!

この距離はだいたい2.5mmくらいが普通なのですが、私のギターは楽器屋での実測値で実に5.5mm!
私は大学時代から自他共に認める「弾きにくいギターに縁のある男」ですが、今回はさすがに「お前もか!」と叫んでしまいました。

そんな訳で相棒は入院して行きました。全治3ヶ月とのこと。治療費も馬鹿にならない額ですが、 素晴らしい音と弾き易さになって退院して来ることでしょう。既にめちゃくちゃ楽しみです。

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