What's New
 
Text Archive

2001.7.10
妖怪に11の「新種」、絵巻で確認


◎7/10 朝日新聞
江戸時代の「化け物尽くし絵巻」が見つかり、これまで確認されていなかった妖怪(ようかい)が11種描かれていることが分かった。
「化け物尽くし絵巻」!!
これがどれほどの価値のあるものなのか、私には皆目見当がつきません。
しかしそれがどんなに歴史的発見だったとしても、掲載された左の写真によって、この記事を学術的に捉えようという関心は大幅に減じられたと言って良いでしょう。


写真に写るトボけた「新種」の面々は、記事によると、左が「蟹鬼(かにをに)」、真ん中が「波蛇(なみじや)」、右が「充面(じうめん)」というんですって。
しかし「じうめん」のようなオッサンなら、そこら中で見かけるような気がします。

絵巻は江戸時代後期、1800年前後のものらしく、妖怪コレクター(!)の51歳、湯本さんという方が、描かれている計11の妖怪を分析したとのこと!
記事を見てみましょう。
 いずれもどんな妖怪かは不明だ。
それは「分析した」とは言わないはずですが、そう言い切っているところに逆に迫力を感じます。

湯本さんは「妖怪の絵巻は信仰や研究体制の不備などから、公開が進んでいない。今回の妖怪の系譜や特徴なども資料が増えてくれば分かるはずです」と期待している。
うーん。 51歳で「妖怪コレクター」なる職業に就いていることは間違いなく尊敬に値するでしょう。
しかし、「妖怪の研究体制」を充実させるのは、さすがに今の我が国では難しいのではと思うのは私だけではないでしょう。




2001.7.13


先週、犬の話をしたところで、大学時代の住居「中山荘」の自室に犬が入ってきた時のことを思い出しましたので図解しましょう。
中山荘は札幌市北区北21条西2丁目にある、アパートです(図1)。



この日、私はバイトを追え、中山荘横の真っ暗な通路を歩いていました。
ウォークマンで音楽を聞いていて周囲の音に全く気付かない状態だったことが全ての原因となるのですが、恐らくこの時点で既に犬は私のすぐ後ろを共に歩いていたものと思われます。(図2)
私はそのまま階段下まで歩き、右折してさらに暗い階段をのぼりました。おそらく犬も続いて右折し、同じく階段を上ったと思われます。(図3)


そして鍵を開け、玄関に入って後ろ手でドアを閉めようという時(左図)この犬も巧みに玄関の中に移動したのでしょう。
狭い玄関に結構デカい犬と私が同時に立っていて、何故気付かなかったかは私自身も大変不思議です。

ここで犬がそのまま部屋にまで入ってきたとすると、これはもう大変なことでしたが、ここで犬は止まりました。
他人の家を訪問するときはまず玄関までと犬は考えていたからと思われます。

このまま疲れて寝床へ一直線、となっていたら、犬もひもじいまま玄関で一夜を明かしたことでしょう。
しかしこの内側のドアには上手いことに縦長のガラス部分があり、玄関側が一部見えるようになっています。


部屋の電気をつけ、振り返ったその時の私の驚いた事といったら・・・(右図)
「ウワーッッ!!」とか叫んだかも含めて、あまりに驚いて記憶にありません。




2001.7.16
ドック


「犬」に続いて「ドッグ」と洒落てみましたが、正確には「ドック」。
今日は生まれて初めての「人間ドック」の日だったのです。

今でこそ超余裕でこれを書いている私ですが、昨晩までは未体験の「人間ドック」に対するかすかな恐怖心が消えず、桜が夜泣きしている訳でもないのにあまり寝つけませんでした。

「人間ドック」という言葉を最初に耳にしたのは多分小学生の頃だったと思うのですが、その奇妙な語感に幼い私は大いにおののいたものです。
に・ん・げ・ん・ドック・・・!!
何だかよく分かりませんが、きっと悪いものに違いありません。

人間とドックがどうなると言うのでしょう?いや、人間がドックにされるのでしょうか? ていうかドックって何なんでしょう。
具体的なイメージとしては、人間がカプセルに入れられ、その中で何らかの処置をされるというようなものを抱いており、また当時読んでいた手塚治虫さんの「ブラック・ジャック」によって、そのカプセル内で行われるのであろう「処置」のイメージだけが勝手に膨らんでいきました。
恐ろしい人間ドック・・・。

しかし、今日、私は人間ドックを克服しました。
ここではまだ人間ドックを体験していない子供の皆さんのために、その一部を御紹介しましょう。

まず「バリウム」。
確かに気持ち悪いし、今も何だか具合が悪いのですが、やっぱり胃カメラを飲むことを思えば、格段に楽と言えましょう。
私の周囲では胃カメラとバリウム、どちらを選ぼうかということが以前話題にのぼっており、甲乙付けがたいほど両者苦しいのかと思っていましたが、苦しさだけを考えたら比較になりません。
一方、油断ならないのが「眼底検査」。検査用の機器に顔をあて、看護婦さんの言うとおりに目をキョロキョロさせていたら、突然フラッシュのような光を浴びせらて本当に驚きました。
ああいうだまし討ちのような手はいけません。

しかし何と言っても最大の難関は「エコー」で、くすぐったがり屋の私にあれは耐えられません。
検査機が腹の上をグニグニと動くというヤツ。
力を入れて必死に笑いを堪えようとする分、その反動で、つい出てしまう笑いは「グフフ」とかいう不気味なもので、あれは恥ずかしいものです。




2001.7.30
「ダチョウにかける」

 JR北海道が、ダチョウの飼育に夢中だ。
標記の見出しと上の一文で始まる記事が、私の目に止まりました。

JRとダチョウ。しかも「夢中」。
瞬時に理解しがたい関係に関心も高まりますが、記事の内容は、JR北海道が函館の沿線に「ダチョウ牧場」なる新名所を造ろうとしているというもの。
JRの本来業務とは余りにかけ離れたビジネス展開に、株主ならずとも緊張するニュースです。

すでにJR北海道では南アフリカから60羽の種鳥を輸入し、運転士や駅員らが専門家の指導を受けて飼育に挑んでいるとのこと。
電車の運転士といえば子供の頃の夢の職業の1つだったように思いますが、うっかりしているとダチョウの飼育係になる可能性もあるので注意が必要ですね。

ところでこの記事には、後半、少々気になることが。
 ただ、JRと生き物は相性が悪い。
これは一体どういうことでしょう?
 JR各社は民営化後、車両基地や高架下などの有効利用策として、様々な飼育、養殖に挑んだ。
 しかし飼育の販路の見通しが甘く、計画通りに成功した例はほとんどない。
なるほど、人知れずそんなことに挑んでいたのですね。
例えば、JR東日本は新潟県の新幹線基地内でスッポンを育てた。
ごみ焼却熱による温水に目をつけた事業だったが、スッポンは半年足らずで共食いを始めて全滅した。
スッポンの救いようのない馬鹿さ加減。また投資した側からすればこれほど悲しいことはなかろうと想像されるものの、身も蓋もない記事の書きぶりに、私は涙を流して笑いました。

当然、今回のダチョウについてもJR他社から心配されているようですが、これに対するJR北海道のコメントがふるっています。
「飼育ノウハウは研究済み。ダチョウに限って失敗はない。」
「うちの子に限って」に代表される独善性をはるかに超越した「ダチョウに限って」という考え方に、私は感銘を受けました。
こうなったら私も応援します。
がんばれ、JR北海道!