2004.11.3
 Merry X'mas


例年通り、11月1日と同時にいち早く「クリスマスムード」に突入した私ですが、思っていたほど街はクリスマスにシフトしておらず、いくら何でも早すぎたかという照れが私を襲っています。

無論クリスマスに突入したと言ってもそれは気持ちの話であって 別にサンタクロースの格好で通勤しているわけではないので、私が早くもクリスマス入りしてしまった ことは周囲からは気づかれていないはずです。

注意を要するとすれば通勤時に装用しているイヤホンからの「音漏れ」。
クリスマスソングにしばしば登場する「シャンシャンシャンシャン」という鈴の音は 小音量でも明らかにそれと分かるため、停車時に車内が静かになる瞬間など妙に緊張して汗ばんだりして、ほとんど痴漢行為をしているオッサンです。

「彼岸入り」などと違い、「クリスマス入り」というのはそのタイミングの計り方が実に難しいものなのですね。




2004.11.6
 御茶の水


金曜の深夜に御茶の水を歩きました。

御存知の方も多いと思いますが、御茶の水は楽器屋街。
中学〜高校〜大学と、札幌及びその周辺に生息していた私にとって、御茶の水は「ギター・マガジン」や「プレイヤー・マガジン」の巻末の広告の中でしか触れることの出来ない 羨望の世界でした。
大学生になって、初めて訪れた時は、それはもう興奮したもんです。

ラフな格好の学生と基本的に怪しい風貌のミュージシャンがせわしなく行き交い、レコード屋と楽器屋から飛び出し幾重にも重なり合っている音。
楽器屋は、どこも目の眩むようなオールドのギターからバカにしたような廉価版まで八百屋の店頭のように溢れています。
う〜、御茶ノ水!


そして夜。
御茶の水橋から山手線の御茶の水駅の長いホームを見下ろし、絶え間なく流れ込む電車、乗り降りする大量の人、 ドアが閉まってまた出ていく電車、という繰り返しを、飽きもせずにずーっと眺めていました。
橋の下を流れるのは神田川。その先には秋葉原の電気街のネオンが見え、建て替え前の明治大学にはゲバ文字の立て看板−。
とにかく見るモノ全てが自分のストライクゾーンを通過していき、一体いま何ストライクなのかを聞きたいくらいです。

当時まだ吸っていた煙草と、何を飲んでいたか覚えていませんが手に持っていたお酒が共にガンガン進み、元々感情移入が激しい上に だんだんラリって来て、70年代のフォーク&学生運動の(想像の)世界へとさまよい始める私。
普段から栄養が足りていなかったこともあって、結構アブない精神世界へと入り込んだのでした。

*

それがどういう縁か、いつの間にか東京に住むようになり、御茶の水へ来る機会も勿論格段に増えたのですが、 昨日、恐らくあの学生の時以来はじめて、夜、御茶ノ水を歩いたのでした。
地下鉄の御茶の水駅を降り、地上に上がって楽器屋街方面へ行こうと御茶の水橋を渡っていた瞬間のこと−
 「あ、この情景は・・・」
それからしばしの間、あの時と同じように橋から山手線のホームと流れ込み出ていく電車を眺めていました。

前にこうして眺めていたのはもう20年くらい前のことです。
その時に考えていたこと、想っていた人、大事にしていた価値観・・・。全て確かに覚えているような気もしますし、全てが曖昧なような気もします。

私もそのうちまた東京を離れ、しばらくしてまた神田川の上から御茶ノ水駅のホームと電車を眺める時があり、きっと同じような感慨を感じることでしょう。
その時、自分はどこで何をしているんでしょうね。




2004.11.10
 「エミコの長〜い付き合い」と銀座・山野楽器


ところで、御茶の水のような渋い世界を知るようになるもっと以前、小学生〜中学生時代の頃に楽器屋と言えば、それはもう断然、銀座・山野楽器。
これは当時のラジオで夜の9時頃にやってた「エミコの長〜いつきあい」というベタなタイトルのトーク番組のスポンサーが「銀座・山野楽器」だったことによります。

当時、ラジオはまだテレビとも違う魅力とステイタスを持っており、特に深夜放送はヤングにとって大人の世界への危険なエントランス。
無論深夜になっていきなりスイッチ・オンなんていうのは素人です。
夜の9時くらいから始まる「欽ドン」、「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」といった、今聞くとレトロ感満点の一連の10〜15分番組を全てきちんと経由し、深夜1時のオールナイト・ニッポンに至る−、というのが推奨される正しい聴き方。
「エミコの長〜い付き合い」はそうした一連の10分番組の一つで、中山恵美子さんという年齢不詳のお姉様によるトーク番組でした。

オープニングは恵美子さんのまったりとした歌声。
 なんとなく愛して なんとなく別れた
 けれどまた出会った 街角〜
随分と狭い街という気がしないでもありませんが、せっかくまた出会ったからには今度は仲良くやって欲しいものです。
ところがサビに入って一転、
 何となく(なんとなく〜) 長いつきあいに(つきあいに〜) なりそうな(なりそうな〜) 山野楽器〜。
2人の話かと思って聞き進んでいけば、最後に突然山野楽器。
文脈上どう読んでも、山野楽器とのつき合いが長くなりそうとしか解釈できず、確か男女の話だったはずだが・・・といたいけな中学生は大いに混乱したのです。

*

それから約10年。
私が初めて東京を訪れたのは90年のローリングストーンズ来日公演の時。
恥ずかしながら既に25歳くらいですから田舎者にもほどがあるのですが、 銀座という街もその時初めて歩き、そして私は山野楽器を目指しました。

銀座の歩行者の中で明らかに無意味に力が入っている私。
ほどなく山野楽器の目の前に立ちました。
 「これが山野楽器か・・・」
私の目は挑戦者のそれであり、無駄に血を逆流させながら店内へと踏み込んだのでした。
店内は普通のレコード屋でしたが(←全く当たり前)、感慨&余韻と共に、私は山野楽器を後にしたのです。

*

そしてそれからさらに15年。
これまた不思議なもので山野楽器は今や職場に最も近い楽器屋です。
ちょっとした時間の合間に安易に立ち寄ったりしている私。
それでもたまにあの頃の気持ちが思い出されて、何となく不思議な感慨を感じたりします。

ん!
これこそまさしく
 何となく 長いつきあいに なりそうな 山野楽器〜。
なのかもしれませんね。




2004.11.14
 ルル、CM、三共


寒くなって風邪を引いている人が多くなりました。桜と私も風邪気味です。
そんな時、私はルル3錠。
以前も書きましたが私は「病は気から」の典型で、いかにも効きそうな薬を飲むと それだけで胃に到達する前から既に体調が改善 に向かうこともしばしばですが、 ルルは1度妙に効いたことがあって、それ以来、私の体に作用する薬として登録されたわけです。

ただし、薬学的な効能よりも "効きそうなイメージ"重視である私にとって、「ルル」というネーミングがちょっと中途半端という感は正直拭えません。
「龍角散」とか「改源」のように何やら難解な商標名、もしくはいっそ右の「ケロリン」のように別の意味で魅力満点といった特徴がないと、 "効きそうなイメージ"が湧いてこないわけですが、 そういう点から言うとルルは "CMソングの歴史が古い"という事実が私を支えています。

*

ラジオ放送の歴史上、CMソング第1号は昭和26年のコニカ 「ぼくはアマチュア・カメラマン」となっていますが、ルルもちょうど同年発売されており、 CMソングの作詞・作曲もそのコニカと同じく三木鶏郎大先生。
というかCMソングに限らず、この頃の「楽しげな曲」は、いちいち紹介するのも大変な程、殆ど三木鶏郎さんの作品と言っても過言ではありません。

歌詞は当初から
 くしゃみ3回 ルル3錠  
で、三木鶏郎さんの時代を超越したセンスがうかがえますが、廃盤歌謡曲同様、戦後のCMソングを聞きあさっていた頃の私は、 むしろこの男声コーラスに着目していました。

重ねすぎと言っていい過度な厚みと、妙にメリハリのない、何というか"垂れ流し的"唱法。
原曲では2分半にわたってこの調子なので結構胃にもたれますが、時代のシンボル的サウンドという点では聴き逃せません。

そしてこの伝統的歌謡コーラスの世界が「ロック」という概念と融合した時!
「ロック夕やけ小やけ」で聴ける、"ロックなのに丁寧"という「ジャパニーズ・ロック・コーラス」とも言うべき新たな世界へと化学反応を起こしたのです。
と勝手に想像してまた無駄に興奮してきました。

*

ところで三共のHPを見ていましたら、創業者三人の共同出資だから「三共」とのことで、ほとんど「コンサドーレ札幌」並の命名の安直さに驚きました。




2004.11.21
 ハシモトコウ・アワーとエックス団


Yahooやgooなどの便利な検索サイト。

ちょうど5年前、HP制作のために購入した入門書の巻末にも「サーチエンジンへの登録」という章があり、
サイトの存在をより多くのユーザーに知ってもらい、ヒット数を増やすために、yahooやgooなど主要なサーチエンジンへの登録を行いましょう。
名前などの検索をきっかけにサイトの存在を知ることも少なくありません。
と推奨されていました。

しかし・・・
くだらないことを全力で書き続けている当アワー。
記述の対象は、私にとっては全て重要な物事ではあるものの、一方で、それらが(−例えば王家の紋章>やカニバブラー>や火星人>などが) 職場の方々の目にもし触れたらと想像しますと、これは相当背筋の寒いものがありますね。

結果として私は、「ヒット数を増やす」というサーチエンジンの効果には惹かれつつも、「名前などの検索をきっかけにサイトの存在が知られるに至る」という "探知機能"(←そもそも本来機能)におびえ、Yahoo、goo等への登録を行わないまま現在に至ります。

*

さて、そうは言いつつもこのネット時代、一つのHPが誰にも知られずに存在し続けられるはずなどありません。
それなりに誰かの目に止まっては「橋本さん、見ましたよ」と不意に肩を叩かれ、エッチな本を熟読中に話しかけられた中学生のように 挙動不審になったりするわけですが−

最近、我が職場内において非常に枢要なポジションを占める一団、仮にエックス団としますが、このエックス団に当アワー運営の事実を知られるに至り、私の緊張感は いま、ピークに達しています。

圧倒的な情報量とアルコール摂取量を誇るこのエックス団。
ちなみに私は先月のエックス団との酒量が常軌を逸したものとなったため、口座残高不足を引き起こしてカードの使用が不能となりました。

枢要なポジションにいるというくらいなので、逆にこんな怪しげな創作活動を咎めるようなセンスの人も一人もいなく、その点は実に幸いです。
むしろ問題は私の側で、これだけ自分のことを不用意に明らかにしてしまっていると、殆ど全裸で仕事をしているようなもので、 集中力の維持が非常に難しい今日この頃です。




2004.11.24
 蚊の考え


すっかり寒くなったと思っていたら、3日連続で就寝中に蚊に刺されました。

被害箇所も、初日が右手人差指の第1関節、翌日は同じ指の第2関節と、明確な意図と統率力が感じられて不気味です。
慌てて戸棚の蚊取線香を確認しましたら、もう今年の出番は終わったものとすっかりダラけて湿気っていました。
が、もう一度彼の闘志に文字通り火を付け、蚊に対抗している毎日です。

で、こんな季節に蚊に刺されて困っているという話を部下の大江君にしましたところ、
「この季節の蚊は、来年まで生きてやろうという強い意志を持った蚊なので注意して下さい」
との思いがけない答え。

妙なトークを仕掛けてきやがってと思いつつ、日頃よりマニアな視点で情報収集を怠らない彼の警告なので、一応、万が一に備えて気を引き締めています。




2004.11.27
 七五三


先週はきれいな秋晴れ。桜の七五三を開催しました。

場所は、ほたるまつり等でおなじみの等々力不動尊。小規模の どうにも枯れた味わいが良いのです。
自分自身、特に神様・仏様への信心があるわけではないのですが、お寺の中の簡単な儀式があり、 「ここのお不動さんでお参りをすると意志の強い子になりますよ。」と言われて頷いたりしている桜を、横で嬉しく見ていました。

*

さて、七五三と言えば千歳飴。
私の手元には某所で貰ったものと、等々力不動で貰ったものの2つが並んでいます。

前者は古風な格調を保ちつつもモダンなデザインで非常に魅力的である一方、後者は目を見張るようなクラシック過ぎるデザイン (言うまでもなくそれは単に古いのであって、レトロな味わいを狙ったものとも異なります)。

私としては見れば見るほど後者に軍配を上げざるを得ないわけですが、決め手となったのは裏側に描かれた親子3人の絵(右図)。
左に立つ男性の存在に私は混乱しました。この者はお父さん?それとも七五三の該当者本人でしょうか?

いったんは遠くに立つお父さんが小さく真横に見える、遠近法の世界として無理矢理受け入れようとした私。
しかし詳細に見ると、帽子のつばとお母さんの着物との重なり具合から両者の位置関係が暴かれ、こうしてこの者が男児でしかあり得ないことが判明したのです。

この子はやはり5歳・・。いえ、学んだ知識によれば数え年が基本のようですから、そうなるといよいよこの子は満4歳です。
この落ち着きは危険すぎないでしょうか。
というか、私がいまタキシードを着ても、ここまでの落ち着きを醸し出す自信はありません。