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2005.3.6
サンバの日


3月8日=サンバの日に開催されるらしい松平健さんのイベント 「マツケンサンバ2 in 東京ドーム」。
何故か私の元にも各方面から続々と情報が寄せられており、おかげで私はこのイベントについてかなり詳細に語れるだけの知識を身に付けました。
ひとまず報道ベースで注目される記事をざっと見てみましょう。
3月8日に東京ドームで開催される「マツケンサンバ2 in 東京ドーム」で、松平が暴れん坊将軍の姿で白馬に乗って登場することが23日、分かった。
こんな内容なのに「23、分かった」と、あたかも社会性の高い時事をいち早くキャッチしたかのような報道姿勢。
しかしそうした「社会面的論調」も、この合成写真の前には全く無力です。

松平は今回のために衣装を新調、金ラメ部分が細かくなり、光り具合は現在の2〜3倍となる。
なおグラウンドに降りて『マツケンサンバII カーニバル』に参加するには、サンバ券付きのスタンド席Sチケットが必要。
「光り具合」という未整理の尺度を持ち出した上に「2〜3倍」と幅のある曖昧な取材。
さらにスタンドS席チケットに付いているという「サンバ券」とは一体・・・?
とにかく寄せられた情報は100%こんな調子です。

こうしたライブ類の場合、ファンが出演のミュージシャンと同化したファッションで集結するということも多いわけですが、そう考えると3月8日の水道橋周辺の光景は異様なものになると想像されますね。
ましてその大部分が白馬で駆け付けるなどした日には・・・。

写真のような人が1人いるだけでも厄介なのに、各地からこうした方々が集結する様はシュールなんてもんじゃありません。
無論、大型駐車場は無力化し、都心の交通機能は麻痺。マクドナルドのドライブスルーを馬で利用する方なども現れましょう。



2005.3.13
花粉症


約6年の東京生活も終わろうとしている中、とうとう花粉症になってしまいました。
「都会の病」と認識していた花粉症。その患者の仲間入りしたのは地方部出身の私にとっては栄えあることと言えます。

マスクを装用している自分の記念写真でも撮っておこうかと思っていたりしていて、そういう意味ではお上りさん的気分にいることも確かですが、つらいなんてもんじゃありませんね。
しかし私は今日、「それにしても大変なことになりすぎてやしないか・・・」という方を地下鉄の中で見かけました。

一見して危険な状態にあると判るウサギのような赤い目と、鼻水が原因と思われるふやけた顔面。
止まることなくくしゃみをしていて、まるで新種の永久機関のようです。

一方、一緒に乗っていた彼女と思しき方のカバンの中がチラリと見えましたが、富山の薬売りかと思うような品揃えで、刻一刻変化する彼の状態に併せて次々と薬を投与して行きます。
そのコンビネーションは見応えがあるなんてもんじゃなく、ふと周囲を見ると車内の他の客も彼と彼女の連携プレーに釘付けになっているようです。
私もそのうちあんな風になってしまうのかと思うと、栄えあることなどと言ってる余裕はなくなりました。




2005.3.20
花粉と猿と眼鏡


X団長・丹羽氏より突如山火事の写真がメールで送られて来たので、何事かと思ってよく読むと、山間部の木々から花粉が舞い上がっている写真でした。
こ、このモクモクしたのが花粉!!!???
何もそこまで大量に出さなくてもちゃんと受粉できるから心配するなとスギ達に言ってやりたいのですが、何しろ言葉が通じないので残念です。

とにかく私の花粉症は日々悪化していき、週末はホントに悲惨でした。
発症する前はあまり認識したこともなかったのですが、単位となる「花粉の飛散量」というのは1平方メートル当たりの花粉の数ということも最近知りました。

併せて今般知ったことは、花粉自動計測器に「はなこさん」という愛称が付されているという事実。
何の罪もないほのぼの系ネーミングですが、やり場のないストレスを感じている花粉症患者にとっては十分逆ギレしたくなる、ふざけた名前であります。

左は関連情報として、X団の良心・菊池氏から提供のあった花粉に悩む猿の写真。
まさしく週末の私はずーっとこんな感じで、元来サル顔の私にはこの猿が自分に思え、一層不憫でなりません。



2005.3.25
さようなら東京


本日、職場にて人事異動の内示があり、4月1日付で約6年の東京生活を終え、7年振りに札幌に帰還することとなりました。

6年前の1998年8月某日、岩手県三陸海岸は宮古市の職場で東京行きの辞令を受け取った私は、車に乗り込み東京を目指しました。
市内の閉伊川という川を渡ったあたりで1年余りの三陸の思い出が蘇ってきて、泣けて泣けてしょうがなかったことを覚えています。

それから通り慣れたクネクネの国道106号で盛岡に出て、東北縦貫を南下して仙台を通過、北関東に入って片側3車線の道幅と交通量に畏れおののき、都内に入って隅田川沿いから見る東京の夜景に逆に萎縮し、首都高速渋谷線の用賀インターを降りてこれが有名な環八かとキョロキョロしながらと、計十数時間。
地図を見ながら新住所となる世田谷の官舎のあたりに近付いたのですが、既に深夜のため真っ暗で、どこがどの棟かも分かりません。
官舎全体が築40年と非常に古く、夏ですからものすごい湿気。ようやくたどり着いた部屋の床では虫が何匹も死んでいます。

虫を片付け、壁や床のカビを取って、夜なのでそーっと最低限の荷物を部屋に運び、翌日の出勤の準備をする私。
・・・転勤・引越なんて、大なり小なり似たようなものだと思いますが、やはり寂しいもんで、ビールを飲んでも全く酔えませんでした。

その日からほんの1-2年の間だと思っていた東京生活は、何がどうしてどうなったのか計6年にもなりましたが、今月をもって終了となりました。

6年前と同じように再びガラーンとなり始めた私の部屋で、6年前とは違う寂しさを感じています。
仕事でも、プライベートでも、本当に色々なことがありましたから。

この間にお会いし、私を支えて頂いたたくさんの方々、感謝の気持ちはとても一言では言い表せませんが、本当にありがとうございました。
そして久しぶりに会う これまたたくさんの方々、また飲んで騒いで歌って弾いて踊って泣いて楽しくやりましょう。

さようなら東京。