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2009.4.3
東京へ


 ♪机、本箱 運び出された荷物の跡は 畳の色がそこだけ若いわ〜(1978年 キャンディーズ 「微笑みがえし」)

−などと歌っていられる余裕は、普通の引越作業ではありえないことを今回もまた確認しました。
時間に追われながら、戦争でも勃発したかのようなてんやわんやの作業でした。

一方、
♪お引越しのお祝い返しも済まないうちに またですね〜 (〃)
という点は大いに共感でき、札幌生活は、僅か4年間で幕を閉じたのでした。

*

東京は、桜が満開でした。
とうに咲いて散っているはずの桜は3月末の冷え込みで遅くなり、2日にちょうど満開に。

北海道生まれ・育ちの自分にとって、初めて東京で満開の桜を見たときの感動といったらなく、桜の季節に生まれたわけでもないのにこの東京で生まれた長女に「桜」と名付けました。
その桜に、思いがけず満開の桜を見せてあげられたのは、偶然とはいえ、思いがけないプレゼントでした。

新しい住まいは、北区赤羽。
私ははっきり言って、この下町の感じが一発で、しかも激しく気に入りました。

4年前まで6年間暮らした世田谷ともまるで違う、さまざまなテイスト!
その魅力については追ってまた。




2009.4.7
東京で


5日(日)午前に引越荷物が到着。夕刻に搬入を終了しました。

ダンボールがトーテムポール状に積まれ、これが林立している状態の中で、日没を迎える部屋。
「走れメロス」のような切迫感が襲います。

翌6日は月曜日ですから、長女・桜の小学校の始業式、長男・伶の幼稚園の手続き、そして当然自分の出勤もあるわけですが、一体この状態からどう準備したら良いのでしょう・・・。


大量の箱の中から必要なものを見つけ出す作業は、殆ど「神経衰弱」の世界です。
「あった!」とか「あ〜・・・」とか言いながら、それなりに盛り上がりつつ、何とか準備を終えました。

あとは今週を「キャンプ週間」と位置付け、トーテムポール群の隙間に寝床を確保。
そこにゴロリと転がしたら、桜も伶も瞬時に寝ました。


新しい生活を少しずつ始めてまいりましょう。




2009.4.12
引越・基地&通信


この土・日、私は 引越の後始末&室内整理という作業に全力を傾注しました。
段ボールからモノを出し、あっちに行ったりこっちに行ったり。
その動きに対応して桜(7歳)と伶(4歳)も遊び道具を持って逆サイドへと逃げていくわけですが、徐々にその動きもスムーズになっていき、2日目にもなれば1974W杯時のオランダのトータル・フットボールを思わせるような完成度です。

さて引越は、段ボールからモノを出す、運ぶ、並べて整理する、発生したゴミを捨てる・・・というような動作が基本になるかと思いますが、ここで侮れないのが「ネジ回し系」の作業。
我々の生活インフラや家具類は、その全てが「ネジられる」ことにより形を成していることを再認識しました。
世の中、インターネットだケータイだと言ったって、結局ネジ。
人間は、ネジり続けることでしか文化的生活を手に入れることができないのです。

ちなみに自分も舞台人のはしくれであり、舞台の設営・解体等の際に嫌と言うほどネジを回すのですが、最近は電動のインパクトレンチを使うことが殆どであるため、すっかり堕落していました。
二日間、時計回りにドライバーを人力で回し続けた結果、カーブを多投しすぎたピッチャーのような右手のダルさとなっています。

ところで今回も、とある部屋の一角に、自分の楽器やレコード、昔の雑誌や小物など、下らないものの粋を集めたような物々を収納するスペースを確保する私。
椅子を置いてパソコンなんかを設置すると、スペースの狭さとも相まって科学特捜隊の基地のようになっていて、一度座ったらなかなか離れられません。

しかも基地の足下には電話の接続口が配備されていましたので、私は久しぶりに、学生時代に活躍した古いプッシュホンを設置することにしました。
プッシュホンのほうも第一線を退いて20年。よもや再び使われるとは思わず動揺もあるのか、「ザザザ・・・」といったノイズ混じりです。

しかし、この時代のこの形状の電話機は、スペース的にはコンパクトとはとても言えないものの、会話を促す装置としては完璧ですね。
自分はそんなに電話をかけるほうでは無いののですが、これを見ていると、何と言うか、妙にかけたくなるのです。
持ちやすいシェイプに、適度な重量。
わずか12個で、それぞれが単一の役割しか持たないボタンも、職人気質で好感が持てます。

今後橋本からの電話の最中にザザザ・・・というノイズが混じっている場合は、この基地から専用電話により通信しているのだなと御理解下さい。




2009.4.23
桐ヶ丘商店街


赤羽の住まいの近くに、「桐ヶ丘中央商店街」という商店街があります。
都営住宅の1階部分が商店という構造で、そこにお肉屋さん、洋品店、文房具屋さん、駄菓子屋さんなど、「商店の王道」といったラインナップが連なっています。
都営住宅・商店街ともに、半端じゃない年輪を感じさせますが、絶望的に寂れているかというと、何か そうとも言い切れない活力も薄く宿っており、気になります。

ところで この商店街を考える前に、まずこの地区に拡がる大規模都営住宅群をご紹介しておく必要がありましょう。
このように街のことを知りたい場合は、テレビ東京「アド街ック天国」のHPでカンニングすることが有効ですね。
案の定、この団地は、2007年9月22日の「北赤羽」の放送週で、第1位に輝いていました。
都営桐ヶ丘団地は、昭和29〜51年にかけて建設された都営団地。
完成当時は東京23区最大、約52万8千平方メートル (東京ドーム約11個分)もの敷地に146棟。
ダイニングキッチンにステンレス製の流し台など…当時は最先端を行くおしゃれなライフスタイルでした。
こうして団地から西洋式の暮らしが日本中に浸透していったのです。
う〜ん、素敵。
無論その時代の建物ですから、今となってはどれも古く、見た目にも老朽化はごまかしようもありません。
が、戦後の高度経済成長期の主役の一人だったのですね。
いいぞ!桐ヶ丘団地!

で、話は戻って「桐ヶ丘中央商店街」。
冒頭に書いた通り、この都営住宅の1階部分に連なっていて、住宅部分同様相当な年期と思われますが、住宅部と一体となって半端じゃない味わいを醸し出しているのです。
自分は何故このスタイルに惹かれるのだろうと しばし考えたのですが、ほどなく思い当たりました。
私がこよなく愛する「すすきのゼロ番地」。
構造から年代、雰囲気まで、(本当に類似しているかどうかはともかく)私にとってはあのビルヂングと雰囲気が重なるのでした。

御存知の方も多いかと思いますが、「すすきのゼロ番地」のビルヂングとは、住所で言うと南6条西4丁目にある5階建ての建物。
1階部分が「すすきの市場」、そして地下1階が「ゼロ番地」と呼ばれる飲屋街となっています。
モノの本によるとこの建物は、1958年に日本住宅公団が建てた集合住宅で、公団による住宅としては北海道初のものなんですと。
遠く離れた東京と札幌ですが、生い立ちには何となく共通点がありますね。


勿論、桐ヶ丘中央商店街のほうは、地下に飲み屋さん街などありませんし、ゼロ番地のような「夜の感じ」や、すすきの全体を覆う「動的な感じ」は全くありません。
というよりむしろ逆で、夕方には早々に閉店するので「昼の感じ」しかなく、勿論動的でもありません。
が、ゼロ番地とはまた違った奥の深さがありそうです。

このシブさと隣り合わせで暮らすのは相当楽しそうです。