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2010.2.1
北海道文化選奨


先月7日、NPO法人コンカリーニョは平成21年度「北海道文化選奨」なる賞を北海道庁より頂きました。
以下は北海道庁のHPにある「賞のあらまし」です。
道では、道内各地で地域に誇りと愛着をもって文化活動や文化支援活動に取り組まれている個人や団体・民間企業の方々の活動を広く道民の皆さんに紹介するとともに、その活動が地域の牽引力としてますます大きく広がっていくことを期待して、北海道地域文化選奨を贈呈しています。 (中略)

この賞の特徴は、実績のみならず、今後においても地域に活力を与えながら一層の発展を期待できるユニークで魅力あふれる活動をされている方々を対象にしている点です。
選考に当たっては、その活動が地域の文化振興にどのような影響を与えているか、地域にどういった波及効果をもたらしているか、また、文化的なイメージアップをはじめ地域に活動が定着しているか、などを選考基準としています。 (後略)

よく聞かれることですが、この賞を頂いて多少なりともコンカリーニョの財務状況が楽になるのか=要は賞金はあるのか?という点ですが、ありません。
しかし、だったら意味はないなどと高慢なことを言うつもりは勿論なく、新聞報道等もあって私達が少しでも認知されるきっかけになったでしょうし、こうした「権威付け」でようやく相手を信頼するという人もやっぱりいたりするわけです。
せっかく頂いた賞です。今後の活動に活かしてまいります。



2010.2.6
マイナス24℃


明日〜明後日にかけて、とある仕事で東京→阿寒→網走→札幌→東京と移動することになり、現在(6日深夜)、猛然と準備中。
移動距離が距離ですから、言うまでもなく行きは始発便、帰りは最終便です。

こうした遠出の場合、まずは訪問先の状況を取材しておくことが肝要ですね。
そこで現在の阿寒の気温を現地に確認しましたら、「一昨日(=立春の日)は、マイナス24℃でした」との答えが。

・・・マイナス24℃??
予期せぬ(し得ぬ)回答に私は狼狽しました。

それって普通のことでしたっけ??
北海道生まれ&北海道育ちの私でも、マイナス24℃の世界はそうそう馴染みがありません。
今年の立春は各地で冷え込んだとのことでしたが、それにしても・・・。

「♪春なのに〜」の次の歌詞は「♪お別れですか〜」ですが、お別れの話を歌っている場合ではありません。
春なのにマイナス24℃という、生命の危機について歌われるべきですね。

というわけで、明日から2日間は、気を抜かずに行きましょう。



2010.2.20
亡くなったミュージシャン2題


ザ・ナックというバンド、御存知ですか?
当アワーを御覧の方には「知ってるか」と聞くこと自体が失礼かもしれませんが、1979年、私が恵庭市立恵明中学校3年生の時に、全世界的に爆発的に売れたバンドです。
「ビートルズの再来」と言われながら、シングルヒット的には「マイ・シャローナ」という1曲が全米1位になったのみで、色々と要因はあるのでしょうが、結局のところ1曲目が売れすぎたばかりにそこで終わってしまったように感じています。

左は彼らの1stアルバム。
当時これを眺めながら「人間の顔には色々な大きさと形があるもんだな・・・」と思ったことだけを妙にはっきり覚えているのですが、それはそれとして内容は「1発屋」などとはとんでもない話で、タイトで乾いた感じの「ロック」の音は大好きでした。

そのボーカルのダグ・ファイガーさん(ひときわ顔の長い方)が亡くなったというニュースが、1週間前の夕刊の隅に小さく載っていました。
悲しいとかショックと言うほど日常の意識の中にあったわけではないのですが、中学3年生のあの頃が色々と思い出されます。

お越し頂いている方は御存知の通り、自分のライブでは毎回「ベタなロックの名曲」を1つ2つ必ず演奏していますが、10年ほど前のライブで「そのうちナックのマイ・シャローナでもやろうかな」とMCでしゃべった事を自分で覚えています。
結局演奏することなく先にダグさんが亡くなってしまいました。
次のライブでは絶対演ろう。

*

しかし自分にとっての存在の大きさからすれば、何と言っても浅川マキさん。
先月の自分のライブの1週間後、1月17日に亡くなったとのこと。

浅川マキさん。
私の大学生活そのものであり、亡くなったというのに当アワーで何も触れないので、逆に私に何かあったのかと不審に思って連絡をくれた方がいたほどです。

音楽と芝居に明け暮れ、倉庫を根城にし、流行らない学生運動のようなものに没頭していた自分にとって、「ザ・アンダーグラウンド」といった感じの存在の浅川マキさん。
その存在感だけでなく、脇を固める一流のミュージシャンと一緒に作られる音は最高でした。


ジャケットは名盤「灯(ひ)ともし頃」、浅川マキさんの7枚目です。
廉価版のCDも出ているのですが、浅川マキさんの歌を聞くなら、できることならやっぱりLP盤です。
そのほうが雰囲気が出るから、というのも勿論あるのですが、LPのライナーノーツに書かれた浅川マキさんの文章が良いのです。

「今はちょうど、夕凪のとき−」という歌が始まりました。
イントロのオルガンは当時23歳の坂本龍一さん、ドラムはつのだひろさん、ベースは吉田健さん・・・。そして録音は西荻北、「アケタの店」です。

自分の今はちょうど、午前4時半。それでもこんな音楽を聴き始めたら飲まなきゃやってられませんね。
いえ、勿論飲みながら夜を過ごしていたのですが、浅川マキさんの世界に突入したのですから、大至急ウィスキー又はバーボンに切り替えなければなりません。

表紙の写真は田村仁さんがちょいとむかしに撮ったものである。これまでのほとんどが仁さんの写真で、そのなかでも、わたしはこの1枚が好きだった。
「いまより、肩が若いね」と仁さんは笑うのだけども、この写真が表紙になった。

「灯ともし頃」のライナーノーツの浅川マキさんご自身の文章が1976年。
「今より肩が若い」と笑われたその時から更に30年以上も経っているのですから− 浅川マキさん、本当にお疲れさまでした。




2010.2.25
2300回と104巻


夕刊某紙を眺めていましたら、「ミュージックフェア2300回」という記事があり、読むと来月の6日に放送開始から2300回を迎えるとのこと。
うーん、長いのだろうとは思っていましたがそんなに・・・。
しかも私、迂闊にも認識していなかったのですが、ミュージックフェアの第1回が自分の生まれた1964年だったということを初めて知りました。

記事には「長寿の秘訣」について色々と分析されていますが、「塩野義製薬(大阪市)が番組開始当初から一貫して一社提供で番組を支えてきたことも大きな理由の一つ」と書かれています。
うーん、確かに塩野義製薬は偉いですね。偉いぞ!塩野義製薬!
そして「変わらず長く続けること」の尊さを感じながら、自分のライブも長く続けていこうと心に秘めたのです。

と、そんなことを思っているうちに業務は終了し、終電近くの丸の内線に飛び乗って目の前の吊広告を何気なく見ましたら、「美味しんぼ 104巻」という、別の意味で衝撃的な長寿情報が!

美味しんぼ−
自分が大学生の頃、ビックコミックスピリッツで爆発的にヒット。
確か主人公の山岡士郎さんが「究極のメニュー」を、山岡さんのお父様が「至高のメニュー」を追い求めていたはずですが・・・。

あれから20年。お互い、まさかまだ見つかっていないのでしょうか・・・。
それとも双方見つかって、仲良く暮らしているのでしょうか?
いえ、そもそも山岡さんのお父さんは生きているのでしょうか?!


そんなことを瞬時に思いながら広告を再び凝視しますと、そのレイアウトは未だに山岡さんとお父さんが対立し、今も究極のメニューと至高のメニューを探し求めていることを伺わせます。
加えて広告に掲載されている2人は、カツオとタラちゃんかと思うほど当時と変わらぬ姿。

美味しんぼをお好きな方を誹謗する気は毛頭ないのですが、少なくとも「変わらず長く続けること」が一概に良いとも言えないような気がして、物事は個別に判断するしかないという、いわば当たり前のことを確認したのです。