2010.2.1
 コンカリーニョ2題


すっかり遅くなりましたが、先月7日、NPO法人コンカリーニョは平成21年度「北海道文化選奨」なる賞を北海道庁より頂きました。

以下は北海道庁のHPにある「賞のあらまし」です。
道では、道内各地で地域に誇りと愛着をもって文化活動や文化支援活動に取り組まれている個人や団体・民間企業の方々の活動を広く道民の皆さんに紹介するとともに、その活動が地域の牽引力としてますます大きく広がっていくことを期待して、北海道地域文化選奨を贈呈しています。 (中略)

この賞の特徴は、実績のみならず、今後においても地域に活力を与えながら一層の発展を期待できるユニークで魅力あふれる活動をされている方々を対象にしている点です。
選考に当たっては、その活動が地域の文化振興にどのような影響を与えているか、地域にどういった波及効果をもたらしているか、また、文化的なイメージアップをはじめ地域に活動が定着しているか、などを選考基準としています。 (後略)

よく聞かれることですが、この賞を頂いて多少なりともコンカリーニョの財務状況が楽になるのか=要は賞金はあるのか?という点ですが、ありません。
しかし、だったら意味はないなどと高慢なことを言うつもりは勿論なく、新聞報道等もあって私達が少しでも認知されるきっかけになったでしょうし、こうした「権威付け」でようやく相手を信頼するという人もやっぱりいたりするわけです。
せっかく頂いた賞ですから、今後の活動に活かしていかねばなりません。

*

次はお芝居。
私達コンカリーニョが劇場再建の前年から行っている西区住民参加劇の第5弾=「噂、湯カゲン、イイかげん」のお知らせです。

この住民劇は、劇場運営に当たって札幌市西区という地域とのコミュニケーションを深めて行きたいという思いから発案し、始めたものです。
「札幌市西区にお住まいの方もしくはお勤めの方」を対象に役者を募集します。

募集ツールは回覧板と、域内小学校へのチラシ配布という超アナログ手法。
しかし、やってるこちら側も驚くほど想像以上に人が集まり、これまで未就学児から70歳代まで既にのべ50人以上が舞台に立っています。

現在の劇場運営の主力であるボランティア組織のメンバーは、殆どがこの芝居で集まったご婦人達。
またライブ・ハシモトコウアワーでお馴染みの女の子・小山内まりなに出会ったのも、この芝居の1回目で、彼女が小3の時でした。

手作り感は今も満点で、左のチラシも役者の皆さんによるもの。
この味わいは狙ってできるもんじゃありません・・・。

この芝居が自分達にとって面白いのは、こうした新しい出会いがたくさんあることは勿論ですが、芝居のテーマを西区の歴史の中から探してくることです。
1回目は、屯田兵がはじめて琴似に入植したという事実。
2回目は、昭和のはじめに琴似村に実際に一つの劇団があったという事実です。

5回目の今回は、戦後、西区にも銭湯ができはじめた頃のエピソードを、当時実際に銭湯を営まれていた方々からお話を聞いて戯曲にしました。
作・高橋聡、演出・理事長の斉藤千鶴、音楽・橋本、衣裳・佐々木青、照明・高橋正和、音響・大江芳樹、舞台監督・高村由紀子という、私を除いて超豪華な布陣です。


ところでこの芝居、実は「故きを温ねて新しきを知る音楽劇」という、音楽家的には大変おぞましい正式名称が付いています。
2006年の企画立案当時、助成金や後援等の獲得に向けた特徴作りとして私に何の相談もなく(!)決定した枠組みですが、以来今日まで続いており、「今年は忙しいので音楽は無しで・・・」という逃避の出口が最初から閉じられた恐怖の催しなのです。

【噂、湯カゲン、イイかげん 】
 ガラガラ チャリン こんばんは 今日も1日ご苦労さん
 いやいや今日だら大変さ どっかで誰かがこれだもの
  いやいやそれはアレなんだ だから何でもねえんだわ
  そうかそれだらいがったな ほんだらゆっくりつかってけ
 いつでもここはいい加減 あつくもねえしぬるくもねえ
 いつでもここはいい加減 終わり良ければすべてよし

これが今年の歌詞。
「高橋め、今年も曲にしにくい歌詞を作りやがって・・・」という怒りを抑え、ダラダラとした曲を作りました。銭湯ですしね。
これを芝居の冒頭に流しつつ役者の顔見せを行い、芝居を通して色々な変奏を交えて、最後は賑やかに終わります。

本番では、これまたライブハシモトコウアワーでお馴染みのボーカリスト・玉川健一郎の歌でお送りします。
そこは本番のお楽しみに。

以下、開催要領です。 お時間がありましたら、是非お越し下さい。
【日時】2010年2月13日(土)19:00、14日(日)13:00 17:00
【料金】前売1,000円 当日1,200円 小学生前売300円 当日500円
【出演】中村公苑、松本大輝、中村咲南、佐々木詩織、南康介、小原葉子、中村唯人、中村美祐、のしろゆう子、宮澤りえ蔵、松本七生、中村るみ子、佐藤亜紀子、村田ひろ美、草刈世津子、渡辺順子、松本直人、齊藤久美子、泉田美智子
【問い合わせ】011-615-4859(コンカリーニョ)




2010.2.6
 マイナス24℃


明日〜明後日にかけて、とある仕事で東京→阿寒→網走→札幌→東京と移動することになり、現在(6日深夜)、猛然と準備中。
移動距離が距離ですから、言うまでもなく行きは始発便、帰りは最終便です。

こうした遠出の場合、まずは訪問先の状況を取材しておくことが肝要ですね。
そこで現在の阿寒の気温を現地に確認しましたら、「一昨日(=立春の日)は、マイナス24℃でした」との答えが。

・・・マイナス24℃??
予期せぬ(し得ぬ)回答に私は狼狽しました。

それって普通のことでしたっけ??
北海道生まれ&北海道育ちの私でも、マイナス24℃の世界はそうそう馴染みがありません。
今年の立春は各地で冷え込んだとのことでしたが、それにしても・・・。

「♪春なのに〜」の次の歌詞は「♪お別れですか〜」ですが、お別れの話を歌っている場合ではありません。
春なのにマイナス24℃という、生命の危機について歌われるべきですね。

というわけで、明日から2日間は、気を抜かずに行きましょう。



2010.2.14
 お礼2題


7〜8日の北海道強行軍は無事終了。
視察団の構成やミッションが非常に特殊な出張でしたので、準備段階も含めて本当に多くの方々にお世話になりました。
この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。


また本日、西区の住民劇も終了しました。
先ほど現地と連絡が取れ、簡単な舞台のバラシを終え、打上げに突入したとのこと。

芝居は何が面白いと言って、打上げが最も面白いと言う人もいるほどで、長期間にわたって共有してきた濃密な時間と特殊なお互いの関係が一時に解放されるあの飲み会は独特です。
学生時代などは殆ど狂気の沙汰で、そのうち泣きわめいたり、喧嘩を始めたりと、単に感情がコントロールできない人達の集団と化し、あれでよく死人がでなかったと、やや本気で思うほどです。

勿論、未就学児から70代という参加者による西区住民劇においてはそんなアホなことにはなりゃしません。
が、それでも子供は友達と別れる寂しさもあって泣き、大人は大人でそれなりの年齢から始めた芝居という初物の疲れとそれが終わった安堵感からか、時に本番以上のテンションを見せて周囲を驚かせる者なども出るなどして、実に見逃せません。
今宵も琴似のどこかで、そうした感情の交錯があるわけですね。

なお昨晩と本日昼・夜の3ステージで、420名のお客様にお越し頂いたとのこと。 たくさんの皆様、本当にありがとうございました。




2010.2.20
 亡くなったミュージシャン2題


ザ・ナックというバンド、御存知ですか?
当アワーを御覧の方には「知ってるか」と聞くこと自体が失礼かもしれませんが、1979年、私が恵庭市立恵明中学校3年生の時に、全世界的に爆発的に売れたバンドです。
「ビートルズの再来」と言われながら、シングルヒット的には「マイ・シャローナ」という1曲が全米1位になったのみで、色々と要因はあるのでしょうが、結局のところ1曲目が売れすぎたばかりにそこで終わってしまったように感じています。

左は彼らの1stアルバム。
当時これを眺めながら「人間の顔には色々な大きさと形があるもんだな・・・」と思ったことだけを妙にはっきり覚えているのですが、それはそれとして内容は「1発屋」などとはとんでもない話で、タイトで乾いた感じの「ロック」の音は大好きでした。

そのボーカルのダグ・ファイガーさん(ひときわ顔の長い方)が亡くなったというニュースが、1週間前の夕刊の隅に小さく載っていました。
悲しいとかショックと言うほど日常の意識の中にあったわけではないのですが、中学3年生のあの頃が色々と思い出されます。

お越し頂いている方は御存知の通り、自分のライブでは毎回「ベタなロックの名曲」を1つ2つ必ず演奏していますが、10年ほど前のライブで「そのうちナックのマイ・シャローナでもやろうかな」とMCでしゃべった事を自分で覚えています。
結局演奏することなく先にダグさんが亡くなってしまいました。
次のライブでは絶対演ろう。

*

しかし自分にとっての存在の大きさからすれば、何と言っても浅川マキさん。
先月の自分のライブの1週間後、1月17日に亡くなったとのこと。

浅川マキさん。
私の大学生活そのものであり、亡くなったというのに当アワーで何も触れないので、逆に私に何かあったのかと不審に思って連絡をくれた方がいたほどです。

音楽と芝居に明け暮れ、倉庫を根城にし、流行らない学生運動のようなものに没頭していた自分にとって、「ザ・アンダーグラウンド」といった感じの存在の浅川マキさん。
その存在感だけでなく、脇を固める一流のミュージシャンと一緒に作られる音は最高でした。


ジャケットは名盤「灯(ひ)ともし頃」、浅川マキさんの7枚目です。
廉価版のCDも出ているのですが、浅川マキさんの歌を聞くなら、できることならやっぱりLP盤です。
そのほうが雰囲気が出るから、というのも勿論あるのですが、LPのライナーノーツに書かれた浅川マキさんの文章が良いのです。

「今はちょうど、夕凪のとき−」という歌が始まりました。
イントロのオルガンは当時23歳の坂本龍一さん、ドラムはつのだひろさん、ベースは吉田健さん・・・。そして録音は西荻北、「アケタの店」です。

自分の今はちょうど、午前4時半。それでもこんな音楽を聴き始めたら飲まなきゃやってられませんね。
いえ、勿論飲みながら夜を過ごしていたのですが、浅川マキさんの世界に突入したのですから、大至急ウィスキー又はバーボンに切り替えなければなりません。


表紙の写真は田村仁さんがちょいとむかしに撮ったものである。これまでのほとんどが仁さんの写真で、そのなかでも、わたしはこの1枚が好きだった。
「いまより、肩が若いね」と仁さんは笑うのだけども、この写真が表紙になった。

「灯ともし頃」のライナーノーツの浅川マキさんご自身の文章が1976年。
「今より肩が若い」と笑われたその時から更に30年以上も経っているのですから− 浅川マキさん、本当にお疲れさまでした。




2010.2.22
 新春アワーの写真


1月10日のライブのお礼のご挨拶を書いた際>>、最後に
なお、今回は写真家・高橋克己さんに、当日の写真をお撮り頂きました。
高橋克己さんは、私どもの劇場・コンカリーニョが毎月発行している「劇場通信」の表紙の写真も担当して下さっている、舞台写真家です。
せっかく撮って頂いた素敵な写真なので、時間をみて少しずつアップしていきたいと思っていますので、御覧下さい。
と書いてから早ひと月。
「時間をみて少しずつ」と、実は当時は一応控えめに書いたつもりだったのですが、少しずつどころか一枚も増えないまま時間が経過して現在に至 り、情けない気分でおりました。
しかし!一昨日(というか昨日未明)、ナックと浅川マキさんを聴きながら、多少なりとも手を付けることができました。

ハシモトコウのライブなので、写真家・高橋克己もハシモトコウの写真を中心に百枚単位で撮って下さっていますが、 そんなもの(←「そんな写真」ではなく「そんな自分の姿」を指していますので念のため)を並べるのも何ですし、ここはむしろ 楽しそうな時間の断面を中心に。

具体的には千年楽団やブルーグラス、年長&年中コーラスガール、そして女子中学生・小山内まりなといったゲストの皆様から手を付けて並べております。

上述の通り、たくさんの写真がありますので、今度こそ、追って少しずつ。





2010.2.25
 2300回と104巻


報道されています通り国会は現在「不正常」な状態で、今日の審議は先ほど23時過ぎに終了しました。
多少疲れて休憩しつつ夕刊某紙を眺めていましたら、「ミュージックフェア2300回」という記事があり、読むと来月の6日に放送開始から2300回を迎えるとのこと。
うーん、長いのだろうとは思っていましたがそんなに・・・。
しかも私、迂闊にも認識していなかったのですが、ミュージックフェアの第1回が自分の生まれた1964年だったということを初めて知りました。

記事には「長寿の秘訣」について色々と分析されていますが、「塩野義製薬(大阪市)が番組開始当初から一貫して一社提供で番組を支えてきたことも大きな理由の一つ」と書かれています。
うーん、確かに塩野義製薬は偉いですね。偉いぞ!塩野義製薬!
そして「変わらず長く続けること」の尊さを感じながら、自分のライブも長く続けていこうと心に秘めたのです。


と、そんなことを思っているうちに業務は終了し、終電近くの丸の内線に飛び乗って目の前の吊広告を何気なく見ましたら、「美味しんぼ 104巻」という、別の意味で衝撃的な長寿情報が!

美味しんぼ−
自分が大学生の頃、ビックコミックスピリッツで爆発的にヒット。
確か主人公の山岡士郎さんが「究極のメニュー」を、山岡さんのお父様が「至高のメニュー」を追い求めていたはずですが・・・。

あれから20年。お互い、まさかまだ見つかっていないのでしょうか・・・。
それとも双方見つかって、仲良く暮らしているのでしょうか?
いえ、そもそも山岡さんのお父さんは生きているのでしょうか?!


そんなことを瞬時に思いながら広告を再び凝視しますと、そのレイアウトは未だに山岡さんとお父さんが対立し、今も究極のメニューと至高のメニューを探し求めていることを伺わせます。
加えて広告に掲載されている2人は、カツオとタラちゃんかと思うほど当時と変わらぬ姿。

美味しんぼをお好きな方を誹謗する気は毛頭ないのですが、少なくとも「変わらず長く続けること」が一概に良いとも言えないような気がして、物事は個別に判断するしかないという、いわば当たり前のことを確認したのです。




2010.2.28
 三陸津波!


南米チリの地震で生まれた津波が丸1日後に到達し、多くの方が亡くなった昭和の三陸津波。
それからちょうど50年、同じように発生した津波が同じように三陸に着きました。

自分が転勤で札幌から岩手県三陸海岸の宮古市に住んだのはもう11年前のこと。
海岸線に延々と並ぶ水門や壁には驚きましたし、海岸沿いの町々には「防災無線」なる広報スピーカーが装備されており、大いに存在感を発揮していました。

今回の津波関連でテレビに移る、宮古市など三陸の町々の風景。
懐かしいなんてもんじゃありません。
久慈市で1.2mの津波が観測され、また気仙沼で冠水もあったようですが、大きな人的被害はないようで本当に良かったです。


ところで今回、こうした形でまた三陸のことを思い出したので、当時の三陸の防災無線がどうなっているか調べようとネットで検索しましたら
岩手県宮古市内の防災無線から20年以上流れてきたシューベルトの子守歌が、今月いっぱいで中止になる。
午後9時の時報がわりに鳴る曲だが、「うるさい」と苦情が増えたためだ。
という、少々寂しい記事が。

確かに「♪眠れ〜眠れ〜」という曲で既に寝ている人をも起こすというのは、やや洒落が効きすぎているという感はあります。
が、夕方5時の「からすの歌」と9時の子守歌は、「自分はなぜ今、この場所に暮らして、この曲を耳にしているんだろう」という、転勤族ならではの不思議な感覚とも相まって、本当に大好きな時間と曲だったのでした。


ちなみに今回、「三陸 防災無線」と検索したら「愛しの防災無線」というフザけたタイトルがヒットし、何かと思いましたら単に自分の過去の記事。
投げたブーメランが自分に刺さったような恥ずかしさを感じました。