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2011.3.2
Fender Jaguar


愛想に欠けることで有名な私の弟。外科医をしておりまして、現在は道北の某病院で手術の毎日のようです。
その弟から珍しく連絡がありました。
いえ、正確には弟の妻から私の妻宛にメールがあり、その文面から何やら用事がある様子と判明したため私から弟に電話をしたという経緯で、"愛想に欠ける"という弟の持ち味を現在もふんだんに出し切っているが故の流れと言えましょう。
こう書くと、弟夫妻にも何やら隙間風が吹いているようにも解せますが、全く逆で、むしろ弟の性格を子細に理解した上で、絶妙な手段とタイミングで彼と周囲とのコミュニケーションの円滑化を促す奥様に、兄の私としては常々感謝しているわけです。


それはそれとしまして、肝心の弟の用件ですが、これが想定外に素晴らしい内容。
彼が所有していたフェンダー製のジャガーという名器。しかも私と同じ1964年製というOldのそれを、私に譲ってくれるというのです!
加えて弟のジャガーは、とても特徴のあるカラーだったはず。

所得水準は私より遙か上の彼のこと、もしや更なる名器の購入を目論んでいる可能性はありますが、つまらぬ議論をして気が変わってしまっては大変です。
丁重に礼を告げて、送ってもらうことにしました。


そして先週、このジャガーが道北から私の家に到着したのです。
このレトロなルックス!イカす!!

さあ、ギターを弾かない方には全くつまらない話題でしょうが、ここは大事なところです。我慢してついてきて下さい!
まずジャガーという聞き慣れぬ機種について、wikipedeiaの解説で勉強しましょう。
ジャガー(Jaguar)は、フェンダー社のエレクトリックギター。1962年に、フェンダー社の最高級機種として発売された。
いきなり心躍る解説ですね!
よりによって"フェンダー社の最高級機種"を手放すとは、弟も大きな判断ミスを犯したようです。
しかし、ブリッジやトレモロの構造が災いして、同社の先発商品「テレキャスター」や「ストラトキャスター」に比べてサステインに乏しく、ロック音楽が次第に伸びのあるギター・サウンドを求めていくにつれて人気が衰え、1975年に製造中止となった。
・・・やはり弟が手放したのは正しい判断だったのでしょうか。
確かに他の解説等を見ても、サステイン(音の伸び)の乏しさ故、ブルースには向かない等、私の音楽志向とはむしろ逆方向の解説ばかり。


しかし、こうした生い立ちも含め、このギターは完全に私の心を捉えました。
そもそもギターなんてものには個体差があって当たり前。
まして1964年製なんていったら、基本的な水準が高いにも程がある時代。上記の解説を読んでも私のジャガーに対する愛情は全く萎えません。


特にこのジャガーという機種の何が面白いといって、御覧になって分かる通り、そこまで要らないのではないか?というスイッチ類の量です。
エレキギターというくらいですから、やはりスイッチは多ければ多いほうが、デンキという文明の産物により音を増幅させている感じが一層高まりますね!

ちなみに右はフェンダー社によるスイッチ類の解説です。
多すぎです。
このスイッチ群を、音楽的な必然性なくオン/オフしながら弾くのが楽しいのです。


そんなわけで、ここのところの私は深夜に帰宅してもこれを弾きながら酒を飲んで、そのうち泥酔して寝るというリズム。
私の場合、泥酔してギターを抱えて寝ているうちに肋骨を折ったという前科があるため、その点だけは十分気を付けて寝るようにしています。




2011.3.6
46歳、花粉症


「46歳、何もかもおっくう・・・」
自分の怠惰な心理状態になぜ気付かれたかと一瞬挙動不審になりましたが、落ち着いて見ると、Yahooトップページの普通のCMでした。

なるほど・・・。
熾烈を極める商品のPR戦線の中で、各社は様々なデータをもとに「最大公約数的なストライクゾーン」を設定してCMを打っているはず。
例えばここで「13歳、何もかもおっくう・・・」というコピーで滋養強壮商品を売り出したとしても、(中学生もお疲れだとは思いますが)相対的にはそれが命中する層は小さいわけですよね。

即ち、(少なくともエーザイ社によれば)2011年春時点で、「何もかもおっくう」な状態にある最大層は46歳であるということになります!
素晴らしい!46歳の私は今、「何もかもおっくうなお年頃」と主張して良いという特権を手に入れたのです。

私と同級生(という設定)のこの女性。
「片付け、洗濯、仕事 ・・・したくない」と仰っています。分かります、分かりますとも。


さて、今日はこんな話を書こうとしていた訳ではなく、異常な量で飛散している花粉に吸い取られてゆく自分の気力・体力をどうにかしなければとYahooを開いたのでした。
しかし、収集してためになる情報は一つもなく、要は今年は例年の6倍とか10倍とか、そんなのばっかり。
「病は気から」タイプの第一人者を自任する私としては、読めば読むほど弱っていくではありませんか。

実際にデパート等の花粉症対策コーナー等では、玉石混淆で商品が目白押しのようですし、ネットの見出しを見ても訳の分からないものばかりです。
【記事の見出し例】
 「花粉、おしゃれに撃退」
 「人差し指が長い人は花粉症にかかりやすい」
 「つらい花粉症とおさらば!石垣島で南国リゾート気分を満喫」
 「雛形あきこ 花粉症顔をブログで公開」
  等々。

てっきり左の写真は対策の失敗例かと思いきや、上記「おしゃれに撃退」の記事で使われている引用写真でした。
「おしゃれ」って、これは罠でしょうか・・・。

まずはこのフィンガー5のあきらのようなメガネを購入し、鼻の間から値札をぶら下げて通勤することから始めなければなりませんね。




2011.3.13
三陸はいま


11日15時の地震。
東京の街と道路は行き場のない人達で溢れ、終わらない余震に怯えながら、ひたすら歩いたり、職場に残ったり、仮設の避難所で過ごしたり。

帰宅すると家の中はめちゃくちゃで、斜めに倒れた本棚からは書籍は勿論、パソコン、録音機材など全てのものが床に落ち、更にギターが2本下敷きになっています。
本当に奇跡的に、そのギターは2本とも固い物や重たい物との衝突を免れて狭いスペースで生き残っていましたが、家中でたくさんのものが壊れました。

壊れたものの中には、長年大切にしていたものも、勿論たくさんあります。
でも壊れたものは、時間がかかったとしても、お金がかかったとしても、また少しずつ手に入れることができましょう。

映像で見る、三陸海岸沿いの街の惨状は、胸が痛むなどという言葉では言い表せません。
1998年から1年と4ヶ月暮らし、転勤で離れる時には泣けて泣けて仕方ないほど好きだった三陸の町々で、家も船も車も恐らくたくさんの人々も、全てが津波に呑み込まれていく映像。
懐かしい知人・友人、部下・後輩にも、今のところ誰一人連絡がつきません。単なる通信網等の問題だと信じつつ、時間だけが経過していきます。

こうして打っている今も、東京は余震でゆっくりと揺れています。




2011.3.21
地震から10日


地震から10日が経ち、色々なことがだんだん分かってきています。悲しいことも、嬉しいことも。
自分にとっては、三陸勤務時代の同僚や部下の皆さんが無事だったことが分かりました。
だからといって大喜びするような気持ちには勿論なれず、ただ泣けてきました。

土曜日にとあるチャリティライブがあり、声を掛けてくれたのでギターを弾いて歌いました。
歌っていて自分なりにしっくり来たのは、ナットキングコールさんの有名なジャズナンバー 「LOVE」です。
あのほのかに明るい感じが良いのです。曲が持っている力ですね。