2011.6.5
 芦野温泉


見かけるたびに、「あ〜、これ、前に見た時も正体を調べておこうと思ってたのに忘れてた−」と思うものって、結構ありません?
私は多々・度々あるのですが、それは自分の関心の幅が広いから、なのではなく、その都度「調べようと思ったこと」自体を忘れてしまうためです。

それらは何の前触れもなく突然思い出され、その都度「そうだった、そうだった・・・」と反省しながら調べを開始するに至ります。
本日思い出した物件は、件の、新聞紙上の片隅で不定期に発見する謎の広告「芦野温泉」。


何しろこのテイストです。
いわゆる「遊び心」的感覚でレトロ風味を演出したものとは明らかに一線を画す、「本気な感じ」。
子が母を背負う道徳的情景にしても、AC=公共広告機構の口当たりの良さとは比にならぬ、硬派な哀愁。
これは気になるなというほうが無理な話ですね。


というわけで今日再びその存在を思い出し、調査のスタートラインに立った私。
しかし何しろ広告がこんな感じですから、一瞬「インターネット等の現代的方法で調査できるだろうか・・」などと失礼なことも頭をよぎったのですが、期待に反して情報満載のHPが開設されておりました。>>
芦野温泉といったら全く侮れません。


さて、そこでサイトの各コンテンツを確認してみますと、恐らく新聞広告が気になってアクセスする方が多いのでしょう、ズバリ「新聞広告について」というタイトルのバナーもしっかり設けられています。
私のような芦野温泉初心者がサイトに迷い込んで来ることなど、先刻お見通しなのですね。

しかし、その「新聞広告について」の内容には私も改めて震撼しました。
広告に登場している2人の人物は、芦野温泉・歌振り座で、地元、お客さま、従業員がつくる「楽芸会」の人気演目のお芝居「瞼の母・芦野物語」の忠太郎とおっ母さんです。

忠太郎はホテルフロントの高久一治。背負われているおっ母さんは、温泉副支配人の小林大です。
忠太郎がおっ母さんを背負うシーンが笑いと涙をさそい、芦野温泉のイメージキャラクターとなりました。
うーん・・・。
芝居人のはしくれとして、この広告のお2人が所謂「人情芝居」の役者さんだろうとまでは予想していた私も、 まさかホテルのフロントマンと副支配人を兼任していらっしゃるとは想像だにできませんでした。というか、一体誰が想像できましょう。。
まさに文字通りのプレイング・マネージャー。芦野温泉、ますます侮れません。

なお誠に勝手ながら気になるのは、お2人の親御さん。
息子さんが有名観光地のホテルマンになったと聞いていた中、仮に何の前触れもなく新聞で突然この広告を見たとすれば、さぞかし驚かれただろうと想像されます。




2011.6.11
 震災3ヶ月


震災から3ヶ月が経ちました。
「復旧も復興も何も進んでいない」という報道がほとんどですが、例えば9万人という避難生活の方の数を考えれば、何も言えません。

3月11日からの新聞はずーっと保管していて今もふと目を通すのですが、 地震から10日後、3月22日の毎日新聞のウェブサイトに載っていたこの写真は、切り取ってUSBに保管している1枚です。

大変な事態を理解しているのかいないのか。たくさんの人が並んでいるのが嬉しいのか、列の最後尾に向かって何とも言えないイイ顔で走る男の子。
並んでいる方たちも、悲惨な記憶が新しい中にあって、この様子が微笑ましいのか振り返って見ています。

あれから3ヶ月、「何も進まない」と言われる中で3ヶ月という時間が経ってしまいました。
この男の子は、今もこうして走っていられているでしょうか。




2011.6.19
 リボン・ナポリン


芝居関係の友人が、なんと月曜日に札幌で結婚式をやる、とのこと。
さすがに一瞬躊躇しましたが、新郎新婦ともに芝居の現場を共にしてきた大事な友人であり、休暇をお願いし札幌にやってきました。

この時期の東京と札幌は、既に梅雨入りして鬱陶しいにも程がある地点から多少雨混じりであってすら爽やかな地点という、イメージ的には生まれつきモテない人とモテる人との差みたいな、そんなムゴたらしさを感じます。

今回の飛行機も、前回、降機時の悲しげな機内BGMが私の胸を打ったエアドゥです。
機内はいつも通り、"北海道な感じ"に満ちています。

飛行機が上昇して安定飛行に入り、「お飲物のサービス」に関する放送が始まりました。
コーヒー、ジュース、スープ等定番のメニューの紹介が一通り終わり、何にしようかなあと思っていたところに、「なお有料でリボンナポリン」を販売していますという衝撃のアナウンスが。

リボンナポリンと言われても、北海道外の方はほとんど御存知ないことでしょう。
透き通ったオレンジ色にシュワッとした泡が弾けて柑橘系の甘い香りが立ち昇る−
時代を超えて道産子に愛されてきた「Ribbonナポリン」は、サッポロ飲料が製造する北海道限定の炭酸飲料。
そうです。どう考えても褒めすぎな感じはありますが、そういう飲料なのです。
驚いたのはその発売時期で、1911年。今年で100周年なんですね。

恥ずかしいことに「ナポリン」の語源も学んだことがなかったのですが、発売当初にオレンジの果汁を使用していたため、産地の代表格であるナポリにちなんでナポリンなんですって 。

ナポリン。
ミポリンとか、その手のアイドルの略称のように変わり果てた感じがありますが、何たって明治時代です。
ここは最先端にハイカラかつ実験的であった、と理解すべきでしょう。

「リボンナポリン」と打って画像検索しましたら、右の画像がヒットしました。
「リボンシトロン」という、これまた見慣れぬ文字に混乱する道外の方もいらっしゃるかと思いますが、まあそういう飲料もまたあったのです。
こちらについても、またいつか。



2011.6.26
 横浜M・川崎V


北海道千歳市の「千歳高台グロリアス」という、今思えば非常に照れる名前の少年野球チームに入っていた私。
ライバルは、主力が辰年という理由で命名された(らしい)「Fドラゴンズ」です!(Fの意味は当時から不明)

相当のめり込んでいた野球ですが、中2の時に肩を痛めてボールが投げられなくなり、傷心のままサッカー部に転入しましたら、これが面白くてすっかり傷は癒えました。(自分は決して移り気な人間ではありませんので念のため)
就職して最初の赴任地がサッカーのまち=室蘭市だったこともあり、職場のチームにも入って続けておりましたが、今度は左からのタックルの餌食となり、靱帯を切ってそのまま選手生命は終了となりました。

しかし私のサッカー好きは変わらず、特に昔から日産自動車のサッカーが好きだったため、そのまま横浜マリノス好きとなって現在に至ります。
最近はすっかり弱体化してガッカリすることのほうが多いのですが、昨日25日、チームの通算1000ゴールを記録したことが小さい記事になっていました。

さして気にも留めずに読み流していたつもりだったのですが、記事の末尾、
 初ゴールは1993年5月15日のJリーグ開幕戦、V川崎(現東京V)戦でエバートンが記録した。
という一文を読んだ瞬間、自分の脳の中が、根こそぎ93年のJリーグの開幕試合へと持って行かれました。

あの日あの時のあの試合の映像はユーチューブにも数多く散らばっており、観ているとちょっと他に例えようのない異様な感慨・興奮が湧いてきます。


V川崎横浜M
GK1 菊池新吉1 松永成立
DF2 中村忠
3 ペレイラ
4 加藤久
6 都並敏史
2 平川弘
3 勝矢寿延
4 井原正巳
MF5 柱谷哲二
8 ハンセン
10 ラモス瑠偉
5 小泉淳嗣
6 野田知
7 エバートン
8 水沼貴史
10 木村和司
11 ビスコンティ
FW7 マイヤー
9 武田修宏
11 三浦知良
9 ディアス
そもそもこのスターティングメンバーを見ているだけで、グッと来ますね。
木村和司さんと水沼貴史さんは、よくこのJリーグ開幕まで現役を続けていてくれたものだと今さらながら思いますし、金田喜稔さんもいてくれたらなあという思いもよぎります。
この日のマリノスの1点目は木村さんのアシスト、2点目は水沼さんのゴール前の縦の突破からで、当時私はそのシーンを確実に100回は巻き戻して涙しました。

その他、室蘭出身の野田知さんもいますし、現在はコンサドーレ札幌の番組解説などをされている平川弘さんもいます。小泉さんがMFで出場していたのは失念していましたが、シブい!
ベルディもベルディで、錚々たるメンバーとはまさにこのことです。
「ベルディ川崎」という名称が、今では何とも懐かしいですね。

ちなみに川崎の都並敏史さんは、この記念すべき試合に敗れて相当悔しかったであろうにも関わらずその夜の"プロ野球ニュース"(!)にゲストで呼ばれ、選手ならではの的確な解説をされていて感心したのを覚えています。


あの頃のJリーグ開幕当初の記憶は、必ずスタンドのチアホーンのパー、プーという音色と共に呼び覚まされます。
騒音問題で短期間しか聞くことがなかった音と、Jリーグのバブル的な盛り上がり。結果的にどちらも短い間の出来事だった2つが同時に重なるので、余計にそう思うのでしょう。

蛇足ですが、YouTubeの映像から流れるチアホーンの音を聴くにつけ、南アフリカW杯のブブゼラの爆音はまさに別次元だったと、改めて思い知らされます。