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2012.1.7
恐怖!水疱瘡


「良い1年にしましょう!」と、元日の未明に私は書きました。
ええ、書きましたとも。

しかし振り返ればその時既に、私は恐ろしい病気に感染していたのでした。
それが表記の、み・ず・ぼ・う・そ・う。
私は元日早々から、この年齢で水疱瘡に罹るという有り得ない事態に見舞われ、布団から出ることすらままならぬまま、「良い1年」どころか、新年の第1週目を無利益・無生産のまま終えました。

そもそも皆さん、「はしか・おたふく・みずぼうそう」という「お子さま3大感染症」を自分がちゃんと済ませているか否かなんて、考えたことあります?
いえ、きっと賢明な皆様には当然そうした罹患歴の管理がなされているのかと思いますが、私など何の根拠も記憶もなく、当然にして「経験している」と、47歳の大晦日まで信じ切っていたのです。
ですから元日の午後、顔から始まって全身に瞬く間に発疹が拡がった時は、驚いたのなんのって。

しかし、驚くだけで済んでいた時間は余りにも短く−
成人してからの水疱瘡・おたふくかぜの類の破壊力が凄まじいと聞いてはおりましたが、実際、ちょっと筆舌に尽くしがたい過酷さでした。

検索サイトで「水疱瘡 おとな」等と入力すると、不幸にして同じ目に遭った先人達のサイトが多数ヒットしますが、そこには「発狂」とか「死にたい」とか、そんな言葉がゴロゴロしています。
大袈裟だと思いますよね?
しかし、顔から身体までびっしりと埋まった発疹と、それによる痒みで一睡もできない時間が30〜40時間くらい経過したあたりで、本当にそういう精神状態になるのです。


全身が発疹に覆われた元日から6日目となる昨日午後、はじめて事態が折り返した感覚を覚え、7日目となる今日、こうしてこれを書いています。
恐らく体調はこのまま徐々に上向いてくれるのでしょう。
一方で発疹で覆われたこの顔や身体、まあ元々大した顔ではないとは言え、これはちゃんと元に戻るのでしょうか・・・。

奇しくも今年は辰年で、私は年男ですが、間違いなく橋本幸史上最悪の新年です。
しかし逆にこの1年、「ちょっと嫌なこと」などもはや嫌なことですらなく、フツーのことなんぞ起きようものならすぐ乾杯といった「価値観のデフレ」による倒錯した幸せが私を待っているのです。


これをお読みの方で、自分にこの種の感染症の抗体があるか否かについて一抹でも不安がある方!
どうぞこのまま医者に直行してお調べになり、万が一にも「抗体なし」の結論に至った際には、速やかに予防接種をお打ちになって下さい。

そう、私はもはや「抗体伝道師」。
お会いする方々には必ず抗体の有無を確認し、圧倒的危機感をもって警鐘を乱打させて頂く−
2012年を、そんな1年と致します。




2012.1.15
続・水疱瘡


全身の痕跡も生々しいまま、ようやく水疱瘡からの社会復帰第1週目を終えました。
「天然痘に罹ったんですって?」といった恐ろしい誤解等も乗り越え、何とか乗り切ったのです。

新年早々だったために公私ともに会合の類も多く、その都度この顔のブツブツに関する解説を行う私。
50近くなっての水疱瘡というインパクトとも相俟って、話題自体にはそこそこ求心力もあるのですが、まるで嬉しくないことは言うまでもありません。

そんな中で今日の夕刻、お正月に飲もうと思っていた東北のお酒の一升瓶を不意に発見したのですが、これを飲むことすら出来なかった正月の過酷な日々を思い出し、不覚にも一瞬涙してしまいました。
そうです。ブツブツがどうとか言ったって、健康に戻り、健康でいられることに感謝しなければバチが当たりますし、お酒にも申し訳ないですね!




2012.1.22
さくら新道・飛鳥山


東京のカラカラ天気については既に昨年末から報道されている通りで、何でも35日間連続で「乾燥注意報」を記録したとのこと。
人間、例えどんな種類の注意力だったとしても、35日間それを持続させることは困難ですね。
しかも(繰り返し水疱瘡の話題で恐縮ですが)、私の場合は「水疱瘡による肌の痒み×乾燥による肌の痒み=∞」ということで、毎晩サウナの中で寝たいくらいの日々でした。

ところで、これもまた全国ニュースで報道されておりましたが、乾ききった日々がようやく終了して35日振りに雨が降ったその日、通勤途中の王子駅付近の飲み屋街「さくら新道」で火災が発生し、JRの架線にまで延焼する事態となりました。

この「さくら新道」、私が3年前に札幌から再び東京勤務になった際、JR京浜東北線から初めて見たのですが、あまりの味わいに、それはそれは目を奪われたもんです。
聞けば昭和の闇市からの生き残りらしいのですが、実際、それ以外の説明は不可能というくらいの異彩を放っていたのです。

それが今回の火事で、あまりにもあっけなく焼失してしまったさくら新道。
JRから見える風景は様変わりし、悲しいものになってしまいました。


一方、この「さくら新道」が隣接していたのが、お花見の名所となっている飛鳥山公園という公園です。
そしてこの公園がまた、「八代将軍徳川吉宗が、吉宗が享保の改革の施策のひとつとして飛鳥山を桜の名所にした」という強力なプロフィールの持ち主。
「全く東京には特徴のないフツーのものは無いのか!」と叫ばずにはいれらません。

それにしても考えてしまうのは、一昨日の火事がもし35日間乾燥注意報の35日目だったら、きっと火の粉は飛鳥山を襲い、昭和の闇市から更に遡って300年前の歴史まで焼き尽くしていたことでしょう。
35日間続いたカラカラ天気の翌日に降った雨と火事。まさに紙一重の明暗であり、気持ちも一層複雑です。

今週はどこかで、帰りがけにもう一度「さくら新道」を歩いてみましょう。