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2017年〜現在まで


妻・利江(としえ)さんは自分の9つ年下でしたが、2017年の2月、44歳の時にステージ4の状態で癌が見つかりました。
2度の手術と抗癌剤治療など3年半に渡った治療も実らず、2020年7月28日、本人の47歳の誕生日に息を引き取りました。
以下はそうした闘病の日々から妻の死後現在に至るまで、ごくまれに書き綴っている文章です。




2017.7.7 妻の癌

お耳に入っている方もいらっしゃるかも知れませんが、今年の1月末に妻の体調に異変がありまして、精密検査をした結果、癌と判りました。
現在、転移を抑えるための抗がん剤治療を先行して行っており、夏に摘出手術を行う予定です。
摘出以降は人口のものを装着とならざるを得ず、非常に重たい決断となりましたが、それで命が繋がるなら躊躇する理由がありません。今は更なる転移が無いことを祈るばかりです。
ちょうど長女が高校受験期だったため、それが終わった3月に、長女と長男に全て伝えました。彼らなりに受け止めてくれているように感じます。
妻自身も友人と会う機会があれば全て話しているようなので、手術までの見通しも立って来たことから、この機会にお伝えさせていただく次第です。
自分は16年前、当時60だった母を同じく癌で亡くしており「何故また?」という思いは当然ありますし、この半年間、気持ちが弱ることもないと言えば嘘になりますが、良くも悪くも自分の毎日や人生が変わりました。
新しく経験できている貴重なものも数多くあります。
長女の高校入学と長男の中学校入学が重なったので、職場の皆さんにお願いして二人の卒業式・入学式にも一人で参加してきました。
高校はお弁当なので毎朝早起きし、長女の補助員として「ご飯詰め+梅干し・ごま塩トッピング」の役割を担っています。

出不精な日も続くなど色々と不義理も重ねておりますが、変わらぬお付き合いをお願い致します。




2017.8.30

今は8月30日の午前3時。
抗癌剤治療を続けていた妻ですが、先週容態がやや悪くなってそのまま入院し、昨日29日に癌摘出手術となりました。
朝の8時に手術室に入り、終了したのは少し前の午後11時。待機している自分も具合が悪くなるような、約15時間の手術でした。

0時過ぎに執刀チームの先生に説明をいただきました。
神経が随所に走っている箇所で時間を要したものの、無事終了したとのこと。
感謝の言葉もありません。

手術室から戻ってきた妻の体には、昨日朝には無かったストーマという装置が付いています。一生の付き合いとなり、御存知の方は御存知の通り、身体障害者手帳が交付されることになります。
勿論、そんなことでネガティブな感情が湧いてくるはずもありません。このストーマ君は地球上でたくさんの命を救っているのでしょう。

空想特撮シリーズ好きの私は、YouTubeに上がっている初代ウルトラマン最終回(1967年)を先日見つけ、長女・長男に自慢気に見せたらゲラゲラ笑われました。
http://www.koh-h.tv/ultraman_zoffy.mp4
ゼットンに倒されたウルトラマンを助けに地球に来た兄ゾフィーが「私は命を2つ持ってきた」という衝撃台詞と共にウルトラマンとハヤタ隊員の両方を救うという、ある意味身も蓋もない展開。
映像や音響の古さとも相俟って確かに突っ込みどころ満載ですが、このストーマ君こそまさしく2つめの命そのものです。

外科医の弟によると、ストーマは「名前を付けると愛着が湧いていいぞ」とのこと。さすが弟。良いことを聞きましたのでイイ名前を付けましょう。

再発、転移、後遺症等々の不安は勿論尽きませんが、術後の経過等また機会を見て書かせていただきたいと思います。
お世話になった病院関係者の皆様、私を看病や子供の世話に何度も送り出してくれた職場のみなさん、そして陰に陽に妻や子供達を支えて下さった多くの方々、本当にありがとうございました。




2018.4.1 家族の様子

自分にとっては何とも長く重たかった平成29年度が終わり、新しい年度になりました。
妻の癌は、切除手術後も続いた抗癌剤治療を年明けにようやく終えたのですが、容赦の無いもので3月に入って転移が疑われる兆候があり、再び検査を続けています。

心はずんと重く、不安定な気持ちがみぞおち付近から体全体に常に放射されているような感覚で、自分はまともに人とコミュニケーション出来ているのか?ちゃんと笑えているのか?と正直不安になるような日々でしたが、周囲の方々に公私共に支えていただき、まずは年度末まで辿り着きました。長女の弁当作り(ゴマ塩係)も一年間全うしました。

幸い一昨日の診断では正体不明(少なくとも明確な転移とも確認できない)とのことで、少しだけ救われる気持ちです。
子供達共々希望を持って新しい一年をスタートさせたいと思います。




2018.7.1 NO MUSIC, NO LIFE!!

先程時計の針が0時を回って7月1日になり、一年の半分が終わりました。
以下、投稿して読んで頂くには申し訳ないような内容ですが、吐き出してみると少し楽になるのかなと思って深夜に乗じ書いてみます。

妻の癌は、昨年手術で切除して抗癌剤治療を続けたものの、4月に肺への転移の疑いが浮上し、5月の様々な検査等を経て、6月にまた手術を行いました。結果的には転移でステージも自動的に上がり、今は再び抗癌剤治療のため入院中です。
前だけを向いて治療していることは言うまでもないのですが、40代半ばという年齢で癌入院病棟の中に混じって寝ている姿が単純に可哀想でなりません。
ストマを装着しているために既に日常生活には様々な制約があり、好きだったのに出来なくなったこともたくさんあります。今日、偶然その一つの話題になった時、思い出しながら「楽しかったなー」と笑った顔を見た瞬間、癌が判明してから一年半、絶対に泣かずにいた自分の感情の堰が不意を突かれて崩壊しました。

「闘病」とは良く言ったもので、心と、体力と、時間と・・・。今と将来を含む全てのもの達との戦いですね。
それでも子供達との生活は毎日やってきますし、自分の仕事も変わらず続きます。

楽器のエフェクターの中に"コンプレッサー"というものがありまして。音量の山を削り、谷を埋めて、均質に揃える機械です。
自分の中に一日に何度もやってくる胸をえぐるような激しい感情の振幅にコンプレッサーをかけながら毎日を送るのですが、問題はコンプレッサーには電源供給が必要なことで、供給するエネルギーが自分の中に無くなってしまいそうな時が数えきれない程ありました。
そんな時、お医者さんの前向きな言葉、外科医の弟からの助言、そして友人・同僚等の直接・間接の支えが、綺麗事などではなく、文字通り、正真正銘、補ってくれました。
感謝は言葉になりません。

今日までそして明日から。医学の進歩を信じ、萎縮せず、勿論悲観など全くせず、希望を胸に過ごして行く。
そういう当たり前のことを宣言したかったのですね、急にこんなことを書き出した自分は。

NO MUSIC, NO LIFE!2週間後は納涼アワーです。




2018.7.2 提灯

昨日未明の投稿、こんな文章を読ませられても困るだろうなと申し訳なく思いつつ、初泣き記念で(笑)書いてみたのですが、余りにも沢山の方々にいいね等やコメントを頂いてしまい、申し訳なさを重ねてしまったように感じています。
では書かなければ良かったというと、誠に厚かましい話なのですが、やっぱり書いて良かったです。ありがとうございました。

自分がこの状況になってから既に1年半が経っています。その間に例えば子供はそれぞれ高校と中学に入学して進級し、仕事では2度の人事異動を挟んでいます。1年半というのはとてつもなく長い時間なんですよね。
昨日、感情の振幅の話を書いた通り「負」の感情に支配される時間が存在してしまうのは仕方のないことですが、自分が救われているのは、「楽しい」と思えるはずのことを楽しめなくなったことが今日まで一度もないことです。
あの時の◯◯、あの場所での◯◯・・。数えたらキリがありません。その一つ一つに感謝です。

写真は「提灯」。納涼アワー用に購入した新グッズです。
学生時代のある時、お祭り会場でアルバイトをした際に、今から思えば単に騙されたと思うのですが、ギャラの代わりに会場に設置された大量の提灯をもらいました。
私は興奮し、一人暮らしの部屋の天井一杯にそれを吊りました。「松竹梅」とか「キリン」とか無秩序に書かれた提灯達を見上げながら、季節が変わっても飽きるまで(恐らく半年以上は)寝起きしていました。

提灯に対する想い入れ捨て難く、以前からフライヤー等にあしらっていたところですが、いよいよ会場に導入したいと考えて通販で購入したものが、週末に届きました。
超安物のポリ製ですが、提灯に貴賎はありません。ただ超安物がこれだけあると、新品なのに既に廃棄物に見えますね・・。

全ての照明を落として提灯灯りだけの時間とか、絶対作ったほうがいいですよね!
ステージ上でドラゴンとかに着火したいところですが、小樽開建部長が消防法違反で捕まるとか洒落にならないので自制します。

2018納涼アワー「提灯」。お楽しみにー。




2018.9.8 胆振東部地震

最大震度7の地震を震度5の地点で受け、取るものも取り敢えず車を飛ばすー
不思議なほど3.11の時と同じでした。

全く違ったのは周りの光景で、7年前は都内で行き場を失った無数の人が何kmにも渡って沿道を彷徨っていたのに対し、今回は直後の停電により真っ暗で、人の姿も前後を走る車もありません。
職場へ向かう高速道路の照明も午前3時台はまだ全て落ちたままで、行ってはいけない真っ黒な何かにスピードを上げながら突っ込んでいくような気持ち悪さを覚えていました。どちらも一生頭から離れることはないでしょう。

それにしても観測史上最大という台風対応を足掛け2日でようやく終え、帰宅したその未明に観測史上最大の地震。
あまりの容赦の無さに一瞬やり切れなさも感じてしまいますが、ニュースに映る被災現場の映像を見て言葉を飲み込みます。

自宅のある琴似は市内の電力復旧の最終エリアでしたが、7年前、防災頭巾を被って部屋の中で怖がっていた長女・長男も、ラジオを聴きながら2日弱のサバイバル生活を送っていました。

  画像は何日の何時だったかも忘れてしまいましたが、全道の地域と全ての持ち場の責任者が不定時に情報を共有するTV会議です。
公開を前提としたものでは勿論なく、自分が写ったものでもありませんが、災害対応の状況は支障のない限り知って頂くことも非常に重要なことだと思っており、画像を多少加工した上で上げてみます。
自分が気付いていない中で不適切な点があれば削除致しますのでご指摘下さい。




2018.10.15 誕生日

ものを書けば少なからず重たい内容が混じり、そんなものを読んで頂くのも申し訳なく、結局このページやSNS等から離れている自分がいます。
にも関わらず、たくさんの誕生日のお祝いを頂いてしまい申し訳ありません。

自分の内面はもうずいぶん長い間、「人」という字の形をしています。
格好悪い話ですが、色々な事を考えてしまったり、単純に疲れて傾いている左側の棒と、それを支えているポジティブな気持ちの右側の棒。
どちらも自分の一部なのですが、右側の棒が少しずつ弱くなって行く気がしているのも事実です。

そんな中での54回目の誕生日、自分の右側の棒が自分以外の多くの方々に支えてもらっている事を改めて感じ、心から感謝しています。ありがとうございました。

長女の弁当作りと私のごま塩係の関係も半年前から修正がなされ、今は一緒に自分の弁当を作っています。
とは言っても長女は卵焼きが得意なのでそれを、自分はWebSiteを参考に編み出した超簡単な方法で目玉焼きを作るだけで、そこに「自然解凍」の冷凍食品2品と野菜等の残り物を詰めて終了。
Facebook上で見かける皆さんの綺麗なお弁当の写真を見ると、これを自作の弁当と呼んで良いのかという罪悪感もありますが、貴重な日課です。

弁当を作り終えた頃、極端に朝に弱くフルーツだけをこよなく愛する長男が起きてきて、適当な朝ご飯を3人で食べ、残り時間で洗い物&ゴミ出しをして電車に飛び乗るスリリングな日々。一週間に一度は失敗します。

長女は修学旅行、長男は学校祭や期末試験の時期で、ちゃんと面倒を見てやれずに申し訳ない気持ちになりますが、不満を顔や言葉に一切出さずに過ごしていることに感謝しています。

お正月の新春アワー、本当にやれるのかという思いもよぎりますが、自分の右側の棒の何より重要な一部です。
例年だと10月に入ると正式な告知をしているところですが、遅れ中。チケットが出来たら気持ち新たに告知させていただきます。
あれこれ企画を仕込む余裕は無いのですが、自分が今できる最高の演奏をしたいと思います。




2019.1.14

午前5時。
打ち上げも終わった劇場の中です。
客席に見えたお一人お一人を思い出しながら、一人、ご厚志で頂いたお酒の一本を飲んでいます。何も言葉になりません。 楽器や色々なものと一緒にこれから帰ります。
皆様、ご来場、本当に本当にありがとうございました。




2019.2.8 小樽雪あかりの路

昨年4月に初めて小樽勤務となった私は小樽・後志の様々な素敵さに魅了され、職場内における多少のアジテーションも込めて「世界の後志を目指して」と言うようになりました。
「後志ビギナーが聞いたような口を・・」という生意気な話なのですが、望外にも地域の多様な皆さんが温かく付き合って下さって、もうすぐ一年になろうとしています。
※引用させて頂いたのは最近の道新さんのコラムです。ありがとうございます。

今日から始まった「小樽雪あかりの路」。職場のみんなが旧手宮線の会場に雪像を作ってくれました。
製作後の打ち上げに遅れて合流する途中に立ち寄った雪像。”観測史上最強”の寒波の中で、凍えているのかこの程度は気にしていないのか、羊蹄山を模した雪像が光っていました。

愛情というのは不思議なもので、手足の感覚も無いほど寒いのに、またどの雪像も本当に綺麗なのに、動けずひたすら見続けてしまうのです。




2019.3.2


https://youtu.be/Nk36UskMw7Y
ちょうど一週間前、北海道内地上波6局で同時生放送された「みんなで道フェス!2019」にも出演された、日本のドローンパイロットの第一人者、請川博一さん。
これはもう率直に不思議であり、ただただ感謝しかないのですが、朝ドラからCM撮影まで引っ張りだこの請川さんが何故か私のライブなどに愛情を寄せて下さり、昨夏の納涼アワーに続き、新春アワーの全曲を撮影・編集して下さいました。

さすがに気が引ける私に対して「病床にいて会場に来られない奥様にも見て頂きたいので」と制して下さり、また請川さんに加えて二人のプロの方がご一緒にも関わらず当方の予算に負担が生じないよう「研修」という名目として、全ての作業を行って下さったのでした。

随所に散らばっている私の演奏の不安定な部分は、単なる実力不足とあの場の楽しさ故の油断が入り混じった産物です。
それでも恒例の「餅撒き」のシーンなどではお客様の表情も見えて、言葉にならず、逆に苦しくなるくらいの嬉しさや感謝の気持ちが蘇ります。

本来こちらが用意すべき環境を全く整えられていない中での撮影でしたので、チーム請川の皆さんにこそ不本意な思いをさせてしまっているのではないかとも思うのですが、感謝を込めまして友達の皆様にご紹介させて頂きます。

指揮して下さった請川博一さん、撮影して下さった藤田忠司さん、撮影に加えて事後の編集もして下さった宮崎湧太さん、本当にありがとうございました。

全26曲、宜しければこちらからご覧下さい。 Play List




2019.3.29 異動のご挨拶

昨年4月に小樽に赴任し、後志の皆さんに涙が出るくらい良くして頂いて一年。本日をもって小樽を離れることになりました。
人事異動の内示は既に出ていたのですが、今回の場合はプレスリリースがあってそれまでお伝えできず、本当に心苦しい最終週でした。

異動先は、辞職→採用という手続を経てJR北海道への出向です。説明するまでなく特殊な人事で、ミッションは北海道新幹線の札幌新駅周辺の地域計画や、道内路線の維持に関する検討のお手伝いなど、諸懸案の推進です。
前例もなく、重責が務まるのか不安も大いにありますが、名誉なご指名、1年間行ってきます。

後志ビギナーが生意気にも「世界の後志を目指して」と言い続けた1年間。
振り返ると滑稽にも映りますが、自分は大真面目に小樽・後志という地域が大好きでした。
お世話になった方々を列挙し始めたら止まらなくなります。
先週と同じはずの小樽の風景に、今週は違う心象風景が重なって見え方が変わってしまっていましたが、目に焼き付けながら過ごしておりました。

直接ご挨拶できないまま離任しなければならないことが本当に心残りです。
お世話になったたくさんの皆様、一年間本当にありがとうございました。




2019.3.31 おーい道新−人騒がせ見出し編


今回の人事異動、当初は驚かれたり激励して下さったりお祝いの言葉を頂いたりしていたのですが、昨日から掛けて下さる言葉のトーンにやや微妙なものが混じっているような気が。
不思議に思っていたところ先ほど親族から「新聞読んだよ・・」という電話があり、初めて昨日の道新朝刊の記事の存在を知りました。

憚りながら職責や期待されている役割等の記述は概ね事実として、人騒がせなのはこの見出しです。
「退職の」という余計な3文字が頭に付されているがために「第二の人生感」がスゴくて、それは心配もするわなと納得しました。

お読みの方の中にも経験者が多数いらっしゃると思いますが、出向と言えども役所組織・民間企業間の異動は、行く時も戻る時も形式上「退職と採用」という手続が必要となります。
私の人事異動通知書(辞令)も「辞職を承認する 退職手当は支給しない」というツッコミどころ満載の内容ですが・・
一方でそれを本当に退職と理解されたり、ましてそう書かれる人もいない中で、この攻め過ぎな見出し。プレスリリース後なのですから、多少なりとも取材して下されば良いものを。

Facebook等で「拡散希望」と冒頭に書いて投稿される方の記事をたまにお見掛けしますが、初めてその気持ちが分かった一日でした(笑)。
勿論悪意がないことも承知しています。記事にして下さってありがとうございました。




2019.4.27

JR北海道に出向してちょうど1ヵ月となる昨日。私に代わって北海道新聞が近況を掲載してくれました。
二本の記事はそれぞれ別の内容ですが、端的に今の自分を取り巻く状況を表しています。

北海道議会参考人招致の写真は、10:00?18:00まで休憩を挟んで延々7時間、たくさんの議員の皆様からひたすら厳しいご意見を頂き続けている図。表情もさすがに凹んでいます。
二つ目の記事は3/30記事と違って退職・転籍したかのような記述が消え、今回は親戚からの心配電話がありません。ありがとう道新。

この4週間、重たいミッションや社会的な批判の中で、率直に精神的には消耗していますが、社内的には疎外されているわけでも苛められているわけでもなく、社員の皆さんは仕事の能力も人格も本当に素晴らしく。

鉄道事業者らしく早め早めの行動が基本で、始業時刻の10分前には「JR北海道社歌−北の大地」が流れ、その後朝礼−という異文化にも触れています。
三次会の締めのようなダークダックスの曲を毎日朝イチで聴く新鮮さ!
早速次回新春アワーの課題曲と位置付けていますので、皆さん、しっかり覚えて下さい。
「♪北の大地」




2019.6.17


「JR北海道、国交省、札幌市、新幹線駅ビルの "主導権争い"」

日々の重圧に心もすさむ私に新たなダメージとなること請け合いな見出しが月刊「財界さっぽろ」の吊り広告に。
ちなみに財界さっぽろのコピーは「情報を先取り、タブーに挑戦」です。

色々な見方があるのは当然ですし、個人的な感情はさておき、書いていただいた以上はそういう事態にならないよう、信頼醸成を旨として止まっていた調整の時計の針を進めて行くしかありません。

後半はまるで橋本が生まれ変わったかのようにシンデレラ化していますが、高校の成績はクラスで40番、大学は4年生を3回繰り返し、国家公務員総合職試験は最下位合格だった情報こそ「タブー」として伝えたい私です。

そしてJR関係者の皆さん、私は書かれているような「JRの監視役」では一切ありませんよーー!
↑ これだけは言いたい




2019.7.12 納涼ビアガーデン&感謝祭




国土交通省北海道局長だった和泉晶裕さんが先週7月9日付で退官となり、週末の12日、関係の方々にお声掛けして「囲む会」を開催しました。
ご参加が多数見込まれたこともあって劇場コンカリーニョを使い、調子に乗って提灯なども吊ったため、写真だけ見るとLiveハシモトコウ納涼アワーでもやったかのようですが、性質としては単なる飲み会です。
単なる飲み会にも関わらず200名を超える多様性に満ちた方々にお越しいただき、本当に感謝しています。
(Facebook上にイベントページを作って多くの方を順次ご招待したのですが、キャパシティの問題もあり途中で削除せざるを得なくなりました。ご招待が目に入らないままだった方、どうかご容赦下さい。)

自分が役所に入って27年、和泉さんから学んだものは数え切れず、とても言葉では言い尽くせません。また最後の半年は知事選に絡んで色々と複雑な状況となって想定外の苦労もされました。
とにかく今はお疲れ様でしたという気持ちです。

20年以上東京と札幌の異動を頻繁に繰り返してきた私ですが、直近は4年という長い期間、札幌で勤務させてもらっています。
3年前に妻の癌が判り、治療のサポートや子供達のケア、日々の家事への対応等々に和泉さんが配慮して下さったものと理解しています。
なかなか思うようにならないのですが、いつも書いている通り絶望的に悪くなっているわけではありません。
最近は腰のあたりへの転移の影響なのか歩くのが大変そうですが、可能な限り週に一度は買い物に行きます。生協やイトーヨーカドーのカートはつかまって歩くのに便利そう。
こうした環境に居られることにしみじみ感謝しています。

そうした山のような感謝の気持ちを形にすると何故あんなフザけた宴会になるのかという疑問は自分でも感じないわけでは無いのですが(笑)、出演者・関係者が全力でフザけている姿は何物にも代えがたく美しいのです。
色々と行き届かない点があったと思いますが、和泉さん、お手伝い頂いたスタッフ・出演者の皆さん、そして温かく接して下さったご参加の皆さん、本当にありがとうございました。

※写真は冨田真未さん、羽二生望さんのFacebookからお借りしました。




2019.8.15

今日はお盆、そして終戦記念日。お休みをいただいてお墓参りに行きました。

母が亡くなったのももう遠く18年も前のこととなりました。
18年前のちょうど今頃、生まれたばかりの長女を連れて東京から戻った時にはもう体力は殆ど残っておらず、膝の上に乗せているだけでも辛そうなのですが、ずーっと撫でながら眺めていた姿を今も思い出します。
両親を早く亡くし、兄弟も一人を除いて全員を戦争で亡くした母。思い出してその話をすることもあったのですが、どれだけ寄り添って聞いてあげられていたかと省みては後悔ばかりです。
その長女も高校3年生になりました。どういう運命なのか、同じように若くして癌を患っている母の手助けもしながら高校に通っています。
ちょうど今年から18才で選挙権。色々意見はあろうかと思いますが妻には思いがけない行事となり、どうしても一緒に行きたかったようで、ゆっくり歩きながら隣に並んで投票用紙に記入していました。
この話に中3の長男が登場しないのは母が亡くなってから生まれて顔も知らないからなのですが(笑)、黙々とお墓を掃除していたので母も嬉しかったことでしょう。
 
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さてそんなこのお盆、幾つかの動機が重なって、大学生の時以来25年振りに新品のエレキギターを買いました。
「ストラトキャスター」という地球上で最もポピュラーな形のギター。ビンテージでもUSAでもありませんが、そんな事は良いのです。
この口のデカいお馴染みのイラストとのフィット感!これは本人である私にも合っているに違いありませんね。
最近は服を仮想コーディネートするアプリ等も拡がっていますが、私の場合は今後もギターの写真を切り抜いてこのイラストに重ねた上で、購入の是非を判断することとします。  
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そして何よりこのお盆は、JR北海道に出向し、(個人的には怒涛の)4ヶ月半が過ぎた自分の初めての休息…。
自分のmissionは約10年後の北海道新幹線の札幌延伸を見据えて札幌市とJR北海道が共同で行う札幌新駅周辺の再開発計画の取りまとめで、外部の人間ではありますが、必要な諸調整を進めるためにお呼ばれしました。
10年後に札幌に届く北海道新幹線は勿論、2030年の招致を目指している札幌冬季五輪が現実になった時に、玄関口となる札幌駅周辺は、どんな機能・価値を持つべきなのか?
混沌の中で整理を続けている4ヶ月半で、強がる余裕もないのでそのまま書くと、とにかく擦り減りました(笑)。
先週の北海道新聞一面に「再開発 新タワー先行」という記事が掲載されましたが、取材も受けておらず内容も正確ではありません。
関心を寄せていただくことは有難く受け止めつつ、正確な情報を早く発信できるよう努めます。
 
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♪ 墓に盆花盆花咲いて、いった人がおりてくる?
ストーブというブルーグラスバンドの中原直彦さんが作られた、大好きな曲の一節です。
少し休んで、また日常のあれこれに追われましょう。




2019.10.13 再演・忘れ咲き彼岸花

台風災害対応で大変な中、恐れ入ります。
珍しく演劇の販促書き込みです。
と言ってもやるのは自分ではなく、コンカリーニョのスタッフでもある藤谷真由美と道内の優秀な役者達によるユニットで、演目は1989年の作品「忘れ咲き彼岸花」。
令和元年に平成元年の芝居を再演してくれます。

1987年に斎藤歩、斎藤ちずらと共に旗揚げした「札幌ロマンチカシアター魴?舎」は、斎藤歩の才能と小劇場ブームという時代とも相まって後期には多くのお客様に足を運んで頂くようになり、私も留年や休学を繰り返しながら道内巡業等に勤しんでおりました。
が、この「忘れ咲き彼岸花」はそんなことは想像もできない初期の作品で、4回公演して360名しか集客できていません。

マネキン人形と人形職人、舞台は街中のゴミが集まるゴミ処理工場ーという、ザ・アングラな設定。
「私は田中のマネキン人形 この目はカラカラ乾いているけど あなたを見てます涙も落ちる」
曲も役者の歌も負けずにアングラですが、ほうぼう舎時代の自分の曲の中では一番お客様が愛して下さった曲でもあります。
http://www.koh-h.tv/music/6ch/hobosha4_4_mannequin.mp3

私もお手伝いでウッドベースによるインストと、田中のマネキン人形を録り直しました。
また19日の17:00公演終了後、斉藤歩と一緒にアフターパフォーマンストークに呼ばれています。
歩と一緒の舞台に立つのは1992年、札幌本多劇場の最後の演目ともなった二人でやったライブ以来です。札幌本多劇場というのがそもそも時代ですね。




2019.10.15 55才

10月15日で55歳になりました。お祝いの言葉、いつもありがとうございます。

2日も遅れて心苦しいのですが、この半年間の仕事を記事にして下さって同じ15日発売予定だった財界さっぽろ11月号が、台風19号の影響で2日遅れに。
国交省の同僚はじめ被災地対応関係者への敬意と、財さつさんへのお礼も込め、私も2日遅れて投稿してみました。

顔写真入りにして下さった新聞広告をそのまま掲載しようと思った私ですが、どういう巡り合わせか今月号はノリで掲載するには二の足を踏む見出しばかり…(詳しくはご購入下さい)。
やむなくミニマムのトリミングを試みたところ、大西・小西両巨匠が偶然にも揃って収まった上に、私の記事を嘲笑うかのような「官僚にだまされるな」という見出しもフレームイン。
奇跡の一枚となりましたので、この謎の縦長画像のみ投稿させていただきます。

また今年1年、頑張ります。




2019.11.12 

札幌駅周辺再開発の立ち上げをお仕事として、JR北海道に出向して7ヵ月。昨日「札幌駅交流拠点北5西1・西2再開発準備組合」という組織の設立に至りました。

人から社風、意思決定過程等まで、ここまで何から何まで初めてという環境は、2000年前後の内閣内政審議室?国交省総合政策局くらいまで遡らないと記憶にありません。
年度内の準備組織設立という期限が高い壁として存在し、眠れない日々も正直ありましたので、もう全身に「安堵」という刺青を施したいような気分です。

札幌市長・JR社長による共同記者会見で、社長が「渋谷のスクランブルスクエアのようなものを目指したい」と話したことから、道内各局のニュース等でも高さ・階数等の想定規模の報道が目立ちます。
JR北海道の経営自立に必要な規模というのは確かにありまして、それを実現させることは自分に課せられた重要な仕事です。
一方で、公共セクターから出向している自分のもう一つの役割は、高い公共性や機能を実現することだとも思いますので、今回、交通結節機能の高度化や、元々は計画の無かった創成川東側の新幹線改札の設置等に新たに踏み込めたことは、今後のまちづくりを考えてもじんわり嬉しく、昨晩は静かに飲み過ぎました。

これをお読みの皆様の中にも様々なお考えがあろうかと思います。お話する機会等があれば、また忌憚のない御意見をお願い致します。




2019.11.16 NPOのこと、仕事のこと



札幌市が設けている「札幌文化奨励賞」、今年の受賞団体の一つにNPO法人コンカリーニョを選んで下さいました。
経営的には相変わらずの低空飛行で、劇場建設時の借金も未だに返しきれておらず、返済期限直前に借り換える先をギリギリ見つけて延命したことも一度や二度ではありません。
力不足を自覚しつつ、「芸術・文化は金にならない」という現実も目の当たりにし続けた15年でした。

そんな浮世の厳しさの中で思いがけず当てていただいた光。理事長・斉藤千鶴が、コンカリーニョを支えてくれているスタッフと一緒に授賞式にお伺いしました。
受賞理由は、「平成7年に遊休倉庫を改装して運営を開始。地区の再開発に伴う倉庫解体後、新たな劇場を再建し、演劇やコンテンポラリーダンスなど札幌で発展を続ける分野を中心に数多くの公演を実現させてきた。また、地域活動に関わる住民や団体とも連携し、地域交流事業をはじめ、芸術文化をコミュニティの活性化に結び付ける活動を精力的に継続するなど、本市の文化振興に大きく貢献しており、奨励に値する」です。
力にしたいと思います。有難うございました。

         *
先日書いた通り、どうにか準備組合設立までこぎつけることができた札幌駅周辺開発計画。
非常にややこしい経緯や制度運用を前提としており、如何に多くの方に丁寧にお伝えしていくかは大きな悩みですが、財界さっぽろが先月号で取り上げて下さいました。
発売期間中の転載は申し訳なく控えておりましたが、今月号が発売となりましたので、遅ればせながら上げさせていただきます。
拡大しながら読まなければならないので特にスマホ等ではめちゃくちゃ大変ですが、ご関心を寄せて下さるようでしたらお暇な時にでもお読みいただければと思います。




2019.12.22 生きる!活かせ!起きろ!

今年3月、JRへの出向のために小樽を離れる時、小川原さんはこの徳利と銚子を紙に包んで渡してくれた。

自分は大学時代に音楽、芝居、そして遅れてきた学生運動みたいなことをやり倒し、普通より3年遅れた社会人人生を送っている。
そのことを勿体無いと思ったり悔やんだことは一度もないが、とりわけ小川原さんはそんな自分の紆余曲折をいつも面白がってくれ、飲めば学生運動ど真ん中の頃のエピソードを昨日のことのように教えてくれた。

既に小川原さんは体調が万全ではなく、お酒も禁じられていたが、炭鉄港、雪あかりの路、しりべしツーリズムサポート…等々の飲み会を藪半でやるたび、必ず顔を出してくれて(結局飲んでしまい)そういう話をしてくれた。
勿論、小樽運河保存運動の話も。


昨年11月、小川原さんからメールで相談があった。曰く、
「地域における歴史的風致の維持及ひ゛向上に関する法律=歴史まちづくり法について教えて欲しい。」
「残りの人生をこの法律の小樽適用に賭けたい。小樽運河保存運動から続いてきた小樽の観光まちづくりのこれからを、この法律で観光まちづくり路線にし、若い世代に引き継ぎたい。」

呆れる情熱!恐るべき小樽愛!!
ちょうどこの法律の立法過程に携わっていた打ってつけの優秀な後輩M君がいたので、一緒に藪半に行って勉強した。

それから半年、JR出向後の今年5月、小川原さんから電話があり、歴史まちづくり法に関するキックオフのフォーラムを開催することになったので是非来いとのこと。
やりましたね小川原さん!勿論伺います!!
電話を受けた地下鉄ホームでそう伝えたが、5月25日のフォーラムに小川原さんの姿はなかった。

結果的には元気だった最後の一年となった昨年度を一緒に過ごせた幸運に感謝しながら、小川原さんの通夜から帰宅し、この徳利と銚子で酒を飲んでいる。ホントはお蕎麦のグッズなんだろうけど。
ついでに書くと、お酒も蒲鉾も鰊の甘露煮も小樽のお店のものを揃え、着ているのは当然「世界の後志を目指して」パーカー。


上記のフォーラムで運河保存運動を記録したモノクロ写真が映されていく中、一枚の写真の中の立看板のフレーズが目に留まり、慌ててメモした。 「生きる!活かせ!起きろ!」

大好きな質のアジテーション。
ともすれば日々の色々なものに埋没しかける自分に、たまにこの言葉を掛けてやろう。

ありがとう、小川原さん。
----------------- 
"小樽運河保存運動で中心的な役割を担った小川原格さんが15日、71歳で亡くなった。"
https://www.asahi.com/articles/CMTW1912170100002.html
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/375307




2019.12.24 新春アワー追加受付のお知らせ

♪ 雨は夜更過ぎに雪へと変わるだろう

JR出向中の身として、クリスマスイブにJRの代表的CMソングを口ずさむことを責務とされているのではなく、運悪くこんな日に東京出張となって深夜に羽田空港に降り、「一人きりのクリスマスイブ」というフレーズがよぎったので歌っているのです。
色々大変だった一年を象徴するような状況で、これはこれで思い出深いものになりましょう。

と、これで終わると単にlonely nightな投稿なので、やや強引に新春アワー関連のお知らせへ続きます。
お陰様で今年も10月初旬の告知から数日で満席打ち止めとさせて頂きましたが、徐々に「結局行けなくなってしまいました」というキャンセルのご連絡も頂くようになりました。
3ヶ月の間にご予定変更になる方がいらっしゃるのも当然ですし、直前のインフルエンザ関連が加わって、毎年平均すれば一割=30席近くのキャンセルがあります。都合の悪くなった方はお気遣いなくご連絡下さい。

というわけで謹んで追加受付の御案内を申し上げます。
「そんなんなら行ってやろうか」という方がいらっしゃいましたら、橋本宛にメッセンジャーやメール等でご連絡下さい。勿論ここに書き込んで下さっても構いません。
No Music, No New Year。是非お越し下さい。

では皆さん、メリークリスマス!!

※ 写真は深夜、柄にもなく華やかにされちゃってる新橋のSLと、いかにも新橋なアルバイトのサンタクロースのコントラスト。




2020.1.10 

金曜までの日常の様々が終了し、非日常へのフライトの時刻となりました(Jet Stream風)。

ギターのサウンドホール内に刻まれた「ZKG」の3文字。誰も知らないメーカー「全国教育ギター」。
このギターを拾った10才の秋のゴミの日、45年後もこんなことをしているとは私もギターも思いもしません。

捨てられていた超大量生産時代のギター。
新春アワー「孤独倶楽部」のコーナーで、久しぶりに音を聴いてやって下さい。




2020.1.13 終了・新春アワー

今年も未明に打ち上げが終了し、皆さんがお帰りになった後、沢山のご厚志、楽器、あの似顔絵パネル等を劇場の大きな台車に乗せ、同じ琴似にある自宅に運びます。
ゴロゴロゴロゴロ。一往復。
ゴロゴロゴロゴロ。二往復。
ゴロゴロゴロゴロ。三往復。
勿論面倒で勿論疲れているのですが、寒く薄暗い琴似に台車を走らせているこの時間は結構好きで、たくさん来てくれて嬉しかったなーとか、楽しかったなーとしみじみ振り返る時間です。

そして毎年似たような写真を上げている通り、全ての片付け作業を終え、空の劇場で缶ビールを飲んで終了します。
時間はあまり覚えていないのですが、写真のプロパティを見ると4:22なので、そんな時間だったのでしょう。

帰宅後に珍しく高熱を出し、1日で治したく何もせず必死で布団の中に籠っていたため、沢山上げて下さった投稿やメッセージ等にも全く反応できず失礼しています(熱は無事平熱に)。
タグ付けして下さった投稿は勿論、そうでないものもシェア等で順次お礼に代えさせていただきたいと思います。

2020年の新春アワー、お越し頂いた大勢のお客様、支えてくれた出演者・スタッフの皆様、お礼の気持ちは簡単に言葉になりません。本当にありがとうございました。




2020.1.17 ??Press Release 新幹線札幌駅の計画変更につきまして





JR出向中の自分の仕事=札幌駅周辺開発の計画は、スケジュール的にも構造的にも北海道新幹線と一体不可分なため、必然的に相互の調整が多々発生します。現在の新幹線札幌駅の計画は2018年3月に決定されたものですが、(先日の財界さっぽろインタビューでも述べた通り)「今日的に考えるときっとここは更にこうしたほうが‥」と感じるものもやはりあります。

一方でこの新幹線計画が「五者会議」(国交省、道庁、札幌市、鉄道運輸機構、JR北海道)という固ーい会議体による神経質な議論を経たものであることから、再検討を行うこと自体にハードルを感じることもありましたが、各機関と調整を重ねまして、昨日、新幹線駅の計画変更に関する報道発表&記者会見を行いました。
財さつで述べた「創成川東側に改札口が作れない問題」「創成川通から新幹線駅に直接アクセスできない問題」は幸いどちらも解消でき、その他、移動の分かりやすさを重視して新幹線、在来線、新幹線・在来線乗換の各改札を同じ3階フロアに集約する点などを内容としています。
絵は「新幹線が見えるタワービル」のイメージです。お子様達にも人気の場所に出来ると良いのですが。

率直なところ、一から何かを作り上げるのも大変だけど、一度決まったものを変える事の大変さの比じゃないな・・・とほとほと感じた9ヵ月でした。
ただこの機会に社内の色々な部門と縷々議論を行った時間は貴重で、先日の新春アワーの社歌「北の大地」演奏時に映した "社員が大勢肩組んで輪になって歌ってる映像" は、この議論を通じて作った横断的飲み会のいちシーンです。

言うまでもなく独善に陥ることなく、将来に禍根を残すことの無いよう検討してまいりますので、引き続き色々な視点からご意見を頂ければと思っています。
(記事は1/16, 17道新朝刊より)

プレス資料




2020.2.2 
気持ち的には1月中旬にやりたいと思っていたことが続々と2月にずれ込んで、自分の投稿の「今さら感」が恥ずかしいのですが、お許し下さい。

@ 新春アワーの映像ー藤田忠司さん


先月の新春アワーが終了して10日後に、藤田忠司さんという素晴らしいカメラマンの方が当日の映像を送って下さいました。
藤田さんの名刺の肩書は「HBC報道制作センターSNGオペレーター」で、記者会見の現場等でも普通にニュースの映像を撮っていらっしゃるプロのカメラマンですが、ドローンパイロットの請川さん同様、何故かアワーに携わって下さる、私などには贅沢な方のお一人です。
ちなみに昨年の新春アワーを全曲編集してくれた宮崎湧太さんも同じで、宮崎さんの丁寧な作品もYouTubeで御覧頂けます(こちらの映像素材も請川さん、藤田さん、宮崎さんによるものです)。

今年はJR北海道出向記念として、「Take the A Train」からの「Take the JR Train」、そして独自テイストの社歌「北の大地」の2曲を演奏しましたが、2階作業足場上の席にいた20名弱の社員に対してお客様が声援を送ってくれる様子も何度も見え、これが泣けます(2階で涙ぐんだ社員も勿論います)。
某新聞記者が、事故や不祥事、経営問題等が続いてどうしてもネガティブな取り上げ方にならざるを得ないJRが応援されているのを見て涙が出たと言っているのを聞いて、これもまたしんみり泣けました。
「Take the JR Train」での玉川健一郎Voの軽妙なアドリブは流石。そして会場の皆様に改めて感謝です。

順次整理して上げていきたいと思いつつ、片付けを始めたら書籍や写真に見入ってしまって一向に進まないというあれと同じ状態で、現在0.5合目くらいの位置です。
そのうち目に入る機会がありましたら御覧下さい。

藤田さん、美しい映像、ありがとうございました。


A 乾杯用ビールを空輸するドローンー請川博一さん


ご来場の方は良く御存知の通り、新春アワーでは毎回冒頭でご来場のお礼を込め、乾杯を行って演奏を始めます。
今年の1月9日、ライブ3日前だというのに私は請川さんにメールで相談しました。
「基礎的なことを教えて頂きたいのですが、ドローンが運べる物の重さってどのくらいのものなのでしょうか。」

即座に請川さんからメールが返ってきました。
「何を運ぶのですか?まさか餅?」

”さすがそう来たか” と思いつつ、私も負けずに返信しました。
「冒頭の乾杯用の缶ビールが客席後方から飛んでくると面白いかなと思いまして。」

程なくして実験映像が送られてきました。
相談した私も呆れるノリの良さと行動力。しかも見ると缶ビールではなく紙コップになっており、難易度が上がっています。

ライブでもご紹介した通り、昨年十勝を舞台に制作されたNHK「連続テレビ小説」第100作目の「なつぞら」のドローン撮影をされているのが請川さん。
日本を代表するドローンパイロットの請川さんが何故ここでこれを・・・
そう思わずにはいられないのですが、今年も請川さんは会場に現れ、飛行経路を含めて万全の安全対策を講じつつ、ライブの初っ端を盛り上げて下さいました。
映像2:44付近から請川さんの表情が少しだけ映っています。
私の下らないMCが重なっていて恐縮ですが、ドローン愛に満ちていますね!
請川さん、今年もありがとうございました。


B コウアワーの照明ー高橋正和さん

ハシモトコウアワーは毎回30名以上の出演者・スタッフが支えてくれており、もしあのライブを楽しく御覧になり楽しくお帰り頂いていたとすれば、それはもう偏にこの出演者・スタッフのお陰です。
役割は違えど自分にとっての有難さは変わりませんが、それにしてもFacebookが流通して以降、コウアワー終了後にたくさんの方がタイムラインに上げて下さる動画や静止画を見るにつけ、高橋正和さんという照明家に灯りを当ててもらう贅沢さを噛み締めます。

大勢の出演者・スタッフが年に一度参集し、短時間で一気に作り上げる過程は相当スリリングで、事前にどこまで意思疎通できるかが生命線。
その打開策として、数年前くらいから全体の構成台本を書き、初稿、2稿・・と全員に送るようになりました。

ト書き、各曲の舞台上の立ち位置、上手・下手の出ハケ動線、各曲のソロ構成、映像やBGMの出し入れ・・・等々を記していくのですが、高橋さんはとにかく丁寧に全てを読み込み、ジャストのタイミングで灯りを切り替えます。
その昔、ジャズドラムを叩いたという高橋さんの照明のオン・オフは演奏者の感覚と絶妙にシンクロします。

映像はいつも最後にやってる「また逢う日まで」ですが、それでなくとも泣きそうにもなるという時に、毎度毎度高橋さんの照明にトドメを刺されそうになって大変です。

アンコールを頂いている場面まで映像を引っ張ってるのは、その間もそれに合わせて照明が変化していくのが分かるから。
今回は仕事の都合でリハに参加できたのは前日夜のみで、当日の開場時間中に別の現場からギリギリ駆けつけて下さってこのクォリティ。
なのに今回も、知らないうちに見たことのない照明装置が据えられています。

長い付き合いながらちゃんと書いてみたことの無かった照明家・高橋正和さんへの感謝です。
高橋さん、いつも本当にありがとう。


C ♪アワーズー玉川健一郎、南山雅樹、廣瀬いづみ、奥野義典、岸本佳久、竹村一哲

およそ地球上の音楽全て、ジャンルを問わず弾いているつもりの私。
それらを毎回セットリストの中に闇鍋的に放り込むのですが、如何なるジャンルを投入しても何ら問題なく追随し、結局私のほうが置いて行かれることとなるアワーズの面々。

実力の程はお分かりの通りなので書き足すことすらないのですが、(役割上、ボーカルの玉川さんは別として)普段は控え目でとにかく前に出ないアワーズの6人のエンドロール動画を見て、余りにも素敵だったので切り取りました。
いづみちゃんが可愛いね(笑)。

いつもライブの最後の曲で背後のスクリーンに映しているエンドロール。
当日の仕込み中に撮ったため、毎回アワー前夜に丁寧にフラッグにアイロンをかけて吊ってくれる佐々木青が欠けていることだけが心残りでしたが、今やアワー映像職人と化した澤さんの発案で動画化したエンドロールにお客様が皆さん手を振ってくれ、とても嬉しく感じました。

万能の対応力を誇る玉川健一郎、南山雅樹、廣瀬いづみ、奥野義典、岸本佳久、竹村一哲のアワーズ、
そしてご来場の皆様、ありがとうございました。




2020.2.15 財界さっぽろ3月号


JR北海道では、"勤務時間の調整"のため「半ドン」が1〜2ヶ月に一度程度やってきます。
※ 半ドン(はんドン):午前中に業務・授業が終了して午後が休みの早期終業のことを指す俗語。午後半休のこと。(←Wikipedia)

今日はその半ドンの日で、出勤してPCを開きましたら役員秘書室からメールがあり、本日発売の財界さっぽろ「財界サロン」というコーナーに記事が載ってるとのことで、切り抜きを送ってくれました。
記事は、先月の新春アワーで演奏した「Take The JR Train」とJR社歌「北の大地」の模様などを取り上げて下さっています。

自分に課せられた新幹線札幌駅周辺開発の計画立案ミッションはそれはもう重たくて日々擦り減っていますが、その分深くなった "JR北海道愛"でフィーチャーした2曲を、冷やかしもなく温かい目で取り上げて下さった記者の方に本当に感謝です。

「2階席のJR北のみなさんに温かい声援が向けられ、場内は温かい空気に包まれた」
最後のこの1文だけでも、せっせと仕込んだことが報われる思いです。

財界さっぽろさん、そして「温かい声援を向け」て下さった会場の皆さん、改めましてありがとうございました。

♪ Take the JR Train
♪ 北の大地




2020.3.1 芸能



北海道新聞の文化部長の島倉朝雄さんは、斉藤歩、斉藤千鶴等と同じ北海道大学演劇研究会の元一員で、立ち姿も声も、それはもう素晴らしい役者さんでした。

学内の建物にパラサイトする形でゲリラ的に青テントを張って空間を作り、大学当局と多数悶着を起こしながら公演終了まで場所を死守して公演を行っていた私達。
その後島倉さんが道新に行かれたことは知っていたものの、演研時代以来30年間会う機会はなく。
それが先日の新春アワーに人知れずお見えになり、この記事を書いて下さったのでした。

「芸能」の文字の下に登場させていただくとは光栄を通り越して分不相応の極みですが、本日3月1日付で島倉さんが東京へご異動になったとのこと。
文化部長の「絶筆」としてコウアワーを取り上げて下さった縁をしみじみ感じています。

島倉さん、温かい記事をありがとう。お元気で。




2020.5.3 劇場存続に向けたご協力のお願い


全ての国の、全ての世代の、全ての立場・属性の人たちの人生が一変し、もうどのくらい経つでしょうか。
必死という状態すら通り越した方も多数いらっしゃるのだろうと思います。
国土交通省という組織柄、大きな自然災害に幾晩も夜通し対応することも少なくない自分達ですが、今回の医療従事者の方々のご苦労は想像できると言うことすら憚られます。

一方、医療従事者の方々が動かして下さっているのが人間の体で言えば心臓だとすると、生死への直結性という点では異なるものの「五感」のような社会の機能もあり、その一つが文化や芸術であると思っています。笑い、泣き、驚き、悲しみ、怒り…心を動かしながら人間は生きているはずです。

私どもNPOが運営している劇場コンカリーニョも活動を停止して久しく、これまで乗り越えてきたどれとも違う危機と対峙しています。
劇場やライブハウス等の小屋の維持の固定費は小さくないものでして、コンカリーニョの場合は人件費を除いた場所代(施設として組合に納入する家賃)だけで月55万円。スタッフ全員の給与が仮にゼロでも発生する支出です。

ついては何とか当面の3か月を乗り切るべく、55万円×3=165万円を目標額としてクラウドファンディングを立ち上げさせていただきました。
十分な返礼もご用意できておりませんが、ご協力をいただければ幸いです。
シェア等で情報の拡散をして下さるだけでもありがたく思います。
https://actnow.jp/project/concarino2020/

8月16日のLiveハシモトコウ納涼アワーも、風前どころかスコール直下の灯という感じですが、その時に笑ってライブができると信じることだけは自由!
みんなで再会できることを祈りまして。




2020.5.9 お礼


5月3日にご協力のお願いをさせていただいたNPO法人コンカリーニョのクラウドファンディングは、本当にたくさんのご支援の下、目標額を大きく超える300万円に達しました。
苦しい状況にいるのは皆同じ中、直接的な支援は難しいながら気持ちだけでも寄せて下さっている方もたくさんいらっしゃると思っていますし、"力になれず申し訳ありません" というご連絡をいただくと逆に本当に申し訳ない気持ちになります。どのような形のご厚志にも感謝しかありません。

私達は以前も一度、こうした形で皆さんに助けられたことがあります。
3年半前、劇場の心臓部である照明ユニットの老朽化が進んで機能維持が困難となる一方、約300万円に上る費用を私達だけではどうしても捻出できず、クラウドファンディングに頼ったのでした。
その際も、目標額の1.5倍を超える450万円のご支援をいただき、謹んで照明ユニットを交換して現在に至っています。ハシモトコウアワーで照明家・高橋正和が当ててくれるあの灯りも、こうして支えて頂いたものです。

コンカリーニョを再建したのは2006年で、当時2千万円超あった借り入れの返済は思いのほか長期化しています。 時代背景的には自分達が芝居を始めた1980年代半ばの小劇場ブームの頃とは比較にならないくらい、劇場に足を運ぶお客様の数が減少していた厳しい時期でもありました。
それでも借り換えや支援制度も様々活用させていただきながら少しずつ返済を重ねて14年。
債務は相変わらず半分以上残っていますが、スタッフによる様々な努力も実り始め、ようやく上向きの稼働率と収支になり始めていた矢先の出来事でした。

今回再びご迷惑をお掛けしてしまい、育ての親のような皆さんからすると、仕送りは一体いつまで続くのかと心配をかけてばかりですが、寄せていただいている期待に応えられるような成長を少しずつ続けていることもまた、お礼とお詫びに代えてお伝えさせて下さい。

一方で個人的な件となりますが、コンカリーニョとある程度付き合いのある方々とは別に、年に一度ハシモトコウアワーにお越し下さる方、仕事関係の方、古い友人など、橋本個人との繋がりによるご支援も100万円超に上っています。
本当にありがたく、また申し訳なく、背筋を伸ばしながらパソコンに向かって頭を下げています。

先が全く見通せない中で、厚かましくも目標達成以降も期限までクラウドファンディングを続けさせていただきたいと思っていますが、直接・間接を問わずご支援いただいている状況に心からお礼を申し上げます。
本当にありがとうございます。




2020.5.26 ??頂き物「コウアワー2020ダイジェスト」


北海道でも緊急事態宣言の解除。平穏に推移してくれることを願うのみです。
但し宣言解除後も石狩管内の「劇場」は休業要請の対象で、今後それが解除となっても人数や密度等の制約は暫く残りそう。
ハシモトコウアワーは3密イベントの典型ですので、8月16日の納涼アワーは難しいかもなー・・などとニュースを見ながら考えていた昨晩、ご存知ドローンパイロットの第一人者、請川博一さんから突然メッセージがあり、この映像が貼ってありました。

「コロナをぶっとばせ的」に編集したとのこと。
チャチャっとやって下さったんでしょうが、もう流石のクォリティです。
いつも熱い請川さん、納涼アワーとライブ配信のコラボレーションなども提案して下さり、しみじみ有り難く感じました。

この新春アワーの数日後に、国内で感染が確認されています。
ドローンによる乾杯用ビールの運搬も、今思えばリモート先取りですが、その時は勿論こんなことになろうとは知る由もなく無邪気に考えた企画でした。

その後に舞台関係者を襲った困難はご存知の通りで、アワーズの面々のプロミュージシャンとしての演奏の場は激減し、聴く側もあの素晴らしい音に触れる機会を奪われたまま。何て大きな損失でしょう。

そういう意味では、この事態下において、アワーズの姿・音を「〇〇先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!」的に楽しめるダイジェスト。
緊急事態宣言解除祝いの酒の肴の一つとしてご高覧下さい。

コンカリーニョのクラウドファンディングは500万円を超えるご支援をいただきまして、こちらは改めてお礼の文章を書かせていただきたいと思います。

請川さん、ありがとう!




2020.6.14 ??納涼アワー見送りのお知らせ



昨日、政府の新型コロナウィルス「夜の街 対策指針」なるものが示され、ライブハウスも対象3業種の一つとして挙げられています。
「夜の街」に漂う昭和感が半端ないですね。

今後のコンカリーニョのイベントの参考にもなりそうなので、ニュース映像の一つをお借りしてみました。
何せ「観客は無言」で、メンバーもこんなに不自由なのに何故そんなに楽しそうなのか逆に興味が湧きますが、ライブハウスに限らずまたお客様が戻って思う存分何かが楽しめるようになると良いですね。

一方、世の中は折角そんな方向なのですが、悩んでいた今年の納涼アワーは見送ることと致しましたのでお知らせさせて下さい。

しばらく書くのを控えていました妻の病気の件、相変わらず良くなってはおらず、先日からは家に濃縮酸素供給装置がやって来ました。
敢えて特に重たい話をするつもりもないのですが、40代半ばでやりたいこともできずにこれで頑張って呼吸している妻の姿はやはり可哀想でなりません。ただ携行用の大きなボンベみたいのもありまして、週に一度はゆっくりゆっくり歩きながら一緒に買い物等に出かけています。
ずっと同じことを書いていますが希望は全く捨てておらず、毎日毎日、明日から何かが起きて良くなることを考えて過ごしています。たまたままだそれが起きていないだけで。
ですので、ここは「いいね!」でお願いします(笑)。

但し8月に納涼アワーができるかとなると、感染防止に係る追加的対応を行ってまて゛開催する余裕はさすがになく、難しいと考えさ゛るを得なくなりました。
予定を確保して下さったお客様、本当に申し訳ないのですがご容赦下さい。

では来年の新春アワーはどうなのか?となると、それこそ全く見通せませんが、上記の通り好転することを考えるのは自由ですので、お会いできることを祈って「開催できたとすれば1月10日(日)」という日程のみお伝えさせていただきます。

様々な制約はありながらも、徐々に人と人が会える環境に戻っていきますね。
また会えること、飲めることを楽しみにしています!!




2020.6.22 

新型コロナウィルスによる移動自粛もいよいよ解除となった中、やや拍子抜けするタイミングで一時帰休の割り当てが回ってきました。
いつもなら早朝に長男と私で順にお弁当用の卵焼きを作るところ、今日は自分の卵焼き製造時間がなくて済む分、色々と家事もはかどります。

ちなみに昨年度までの「目玉焼きの男」から「卵焼きの男」に成長した私。厳密には上手く成型できず、強いて言えば「味は卵焼き」という名の料理ですが、それでも毎日昼のお弁当が楽しみなのです。

お醤油のタレビンはダイソーで買っているのですが、精密に刻み込まれた溝により、醤油色に染まった背びれ。
どんなに背びれ部分を押してもここから醤油が染み出して来ることはないので、無駄と言えば無駄なのですが、無駄を上回る視覚的価値を持つ魚型タレビン。

さすがに狙ってこうなっているわけではないよな・・と思いつつ、中国製・東南アジア製を中心としたラインナップの中にあってまさかの日本製で、よもや本気でここに溝を?などと色々気になる必須アイテム。
明日はまたこのタレビンに醤油を詰めて出勤です。
おやすみなさい。




2020.6.28

最近は買い物に一人で出かけることも増え、色々と修行中。
昨晩はフルーツ好きの長男(高1)用にイトーヨーカドーでバナナを買い、100均バナナスタンドに吊って寝たところ、朝起きると顔が!! じきに長男が起きてきて、「お、出来てる、出来てる」とか言っています。
バナナアート(つまようじ等で皮に穴をあけて酸化させて絵を書くヤツ)の凝った作品は見たことがありましたが、逆にこのレベルだと何が起きたのかと動揺します。実際つまようじでやったようですが、一体いつの間に…。

明日からまたこいつ(バナナじゃなく長男)と一緒に弁当作りです。
おやすみなさい。




2020.7.9



たくさんの被災者の方や同僚達が豪雨災害への対応に当たっている中で個人的な話となりますが、定期的な報告としてご容赦下さい。

今日は終日お休みをいただいて、妻を病院に連れて行く日でした。
こうして休暇をいただいて定期的に病院に行く生活も3年半となりました。現在のJRも含めてこの間にお世話になった4つ職場の関係者の方々には本当に感謝しかありません。

今日は、緩和ケアのお話なども伺いました。
先生のお話を聞く間は自分の脈の音が聞こえそうな程の感情の起伏があり、色々なことも勿論考えてしまいますが、笑って過ごせています。

全て終了した時にはもう夕刻で、今日の札幌は強い西陽でした。
妻にとっては久しぶりの外の空気なので、車椅子に乗せて広い駐車場を散歩しました。
80歳とか90歳の老夫婦になったらこんな感じだったのかななどと思いながら車椅子を押しました。

唐突に何ですが、ブルースの世界に「クロスロード伝説」というのが存在します。ややB級のテイストが混じりますが映画もあります。
この数ヶ月の間に「わたし的クロスロード現象」が起きており、妻に在宅酸素が必要になり始めた時期と感染予防対策で自分も基本的に自宅にいる時期が重なって、色々なことを考えながら夜な夜な弾いているうちに、元々好きだったブルースギターがめちゃくちゃ上手くなりました。もうヤバいです。

ずっと同じことを書いていますが希望は全く捨てておらず、毎日毎日、明日から何かが起きて良くなることを考えて過ごしています。
次回の定時報告ではそれが起きたというニュースと、「橋本幸、卵焼きが上手くなる」の2本をお届けする予定です。

以上、いつも気に掛けて下さる方々に感謝を込めまして。




2020.7.28 ご報告

3年半前に重い癌が見つかり闘病してきた妻・利江さんでしたが、本日朝から容体が急変し、必死の看病も甲斐なく、午後4時5分に亡くなりました。(身内ではありますが、いつもの呼び名で書かせて下さい)

最後は抱きかかえた中で眠るように息を引き取りましたので、3年半の苦しい闘病の最期を悔いなく終えたんだと思ってやりたいです。

今日はちょうど利江さんの47歳の誕生日でした。利江さんは47歳になるまで頑張って生きました。

もう一緒に話したり笑ったりする時間が永遠に来ないと気付く都度、悲しくて悲しくて胸がえぐられ気がおかしくなりそうになりますが、死んだ母の左右の手を握って座っている長女・長男のためにも前を向いて生きて行きたいと思います。

なお、失礼ながら葬儀は親族のみで執り行わせて頂きたいと思っています。
生前お世話になった皆様、今日まで支えて下さった皆様に、一言ご挨拶まで。
本当にありがとうございました。




2020.8.4 初七日

今日は初七日。
写真は2001年5月、実家の北広島の庭の桜の木の下にいる母と利江さんです。
61歳になったばかりの母は既に末期の癌で、この3か月後に亡くなってしまいますが、20年も経たずに利江さんまでいなくなることまで想像すらしていませんでした。
母と妻の両方を若くして亡くし、「幸」という自分の名前の皮肉を正直恨んだりもしました。

この一週間をありのままに書けば、自分はここまでこんなにも弱いのかと思い知らされた時間でした。
昔のこと、直近のこと、楽しかった時間、苦しんで可哀想だった時間、札幌の生活、東京の生活…。それらが間断なくフラッシュバックで襲い掛かってきます。
利江さんのスマホが今も不意に鳴るのは、長女桜と長男伶が母への想いをLINEで送っているからで、その都度胸がえぐられます。

しかし、写真に映る全てを自分は失ってしまったかと言えば決してそうではなく、利江さんのお腹の中には桜が隠れています。
5月30日生まれの子に季節外れに桜と名付けたのは、この桜の下に3人がいたから。
母には見せられませんでしたが、3年後には伶が生まれます。

この7日間、自分が支えるべき桜と伶に、どれだけ自分が救われたか計り知れません。
思い出の品の整理、衣服の整理、断捨離…全ての時間に一緒に付き合ってくれ、励ましあいながら進めました。
忌引き休暇の最後は、3人で桜の住む釧路に行ってきました。
助手席は利江さんではなく桜、桜をアパートに下ろした帰りの助手席は伶です。
ゆっくり走ったので片道の車中だけでも7?8時間、また釧路川の見える宿の部屋の中でも、たくさんの話をしました。

そして明日からは高一男子との男二人の家庭です。
お弁当作りも、掃除も洗濯も買い物も夕飯作りも、二人です。
図らずも始まることになった「二種類目の人生」を、絶対に無駄にすることなく歩んで行こうと思います。

葬儀は近親者のみによる家族葬にて執り行いましたが、やっぱり色々な方々にお気遣いをいただきました。感謝は言葉になりません。
何の形式もない自由葬で、あるのは黙祷だけ。桜と伶が47歳のバースデーケーキを供えました。
久しぶりに弟・卓とギターを弾いて歌って飲みました。

乱文で誠に恐縮ですが、一週間休ませていただいたお礼とご報告をさせて頂きます。
ありがとうございました。




2020.9.16

昨日は亡くなった妻の四十九日でした。
私自身は宗教観を持っていないのですが、区切りの日でもあるようなので何か書いてみようかと思います。

生前の妻のことを最後に書いたのは7月9日でした。
病院の駐車場を散歩しながら「80歳とか90歳の老夫婦になったらこんな感じだったのかななどと思いながら車椅子を押しました」なんて書いていま
もう80、90なんて贅沢は言いません。せめて50、60まで生かしてくれなかったものかと、誰を恨むわけでもなくひたすら考えます。

日々の生活は長男と2人で、また長女もちょいちょい夜行バスで釧路から帰ってきて3人で、買い物をしたりご飯を食べたりと、寄り添うように生きていることは実感します。

幸い卵焼きは少し上手になり、自分+長男2人分のお弁当を作るようになりましたが、朝起きてから出勤までの約2時間は正に戦場!
憚りながら要職を拝命して勤務時間中は目が回るほど慌ただしいのですが、不謹慎にも、一日で最も大変なのは朝と夜ごはん時というのが偽らざる本音です。
それでも長男は大して上手でもない料理を「美味しそう」とか言って食べてくれるので、無理させてるなーと思いながらも頑張る元気になっています。

さすがに疲れた時は、そのまま憚ることなく「♪ 疲れ果ててー」と往年の日本のロックの名曲を口ずさんでいます。次回のコウアワーの1曲目はこれですね。
https://www.youtube.com/watch?v=-A4Snwsd_Q8

あの日からギターを弾かない時間も49日になりました。
意識的に控えているわけでは勿論ありませんし、頭の中では「こんな時こそ音楽」なんて思っていながら、なぜかギターに手が伸びません。
ただ結果として当面最後の演奏となった「恋のトータルステーション」の仕事は、様々な見方を頂きながらも道内は勿論、東京のニュースや朝日新聞の天声人語の取材まで頂き、PV視聴も2万回を超えたりしているところです。
振り返ればイントロのカッティングは半分徹夜で看病した朝4時頃に急に思いついて録音し、プロデューサーの亜矢さんにリモートで送付したフレーズでした。きっと御褒美だったんだと今は勝手に解釈しています。
https://youtu.be/6n8sPOy882c

例年なら10月に新春アワーの告知をするところですが、さすがに見送りたいと思います。
またいつか出来る日が来れば良いなと思っています。

書きなぐり感満載の文章群ですが、お許し下さい。
様々なお気遣いに心から感謝しています。




2020.9.22

日が短くなりましたね。
夕方、札幌駅あたりをぷらぷら歩いていたら18時過ぎには暗くなり、それはそれで少し楽しい気持ちになって久しぶりに楽器屋さんに寄ってみました。

ふとカウンターを見ると、メガネをかけた高1か中3くらいの男子がお母さんにお金を払ってもらっていて、ソフトケースに入ったギターを照れながら肩に掛けて帰って行きました。
これは何十回見ても文句なしに楽器屋さんで一番好きな場面でして、「嬉しいんだろうなー」とか勝手に気持ちを想像しては「う?」となります。

「ギター、初心者セット」とWeb検索してみると色々な画像がヒットしますが、昔と今の最も大きな違いはチューナーではなく音叉だったこと、そしてカポがゴム製品だったことですよね。
と思ってカポのコーナーを見ると、化石のようなゴムカポが一つ売っていたので買って帰ってきてしまいました。

あー懐かしい。
ゴムもシングルとかダブルとかあったなぁ。
などと考えているうちに、あれほど弾く気が起きなかったギターが不思議と弾かさりました。
楽しい。
結構本気で嬉しくて、色々な巡り合わせにしんみり感謝しております。




2020.10.1 十五夜

10月1日は十五夜でしたね。
深夜に家に帰ると長男が買ったらしいお団子とお饅頭が窓際に飾られていました。彼の母が毎年やっていた記憶を頼りに再現してみたと思われます。

一方で食欲も抑えられなかったと見られ、お団子を挟んで2匹いたはずのお饅頭の兎が既に1匹姿を消しており、いくつか抜かれた跡のあるお団子は表面の「粘り」のみで重力に抗っている様子です。

十五夜など気に留める余裕もなかった自分に季節を感じさせてくれた、楽しいお供えでした。




2020.11.28

寒くなりましたね。
今日は妻が亡くなった真夏の日からちょうど3ヶ月という日でしたので、久しぶりに思いつく事を書いてみます。

今晩は長男が中学時代の友達4人を家に呼んで泊りがけで遊びたいとのことで、自分は夕刻以降、三畳一間の楽器用防音室に様々なモノを持ち込んで過ごしています。
長女・長男の高校・中学時代は丸ごと3年間妻の闘病期間と重なって、友達を家に呼ぶことも全くさせてやれませんでした。
楽しそうな声を聴きながら、計算上、四畳半フォークの世界の1.5倍の濃密さで酒が進んでいます。

仕事、家事、子育て、介護などなど。周囲にはそれらを両立している方々がたくさんいますが、もう毎朝・毎晩、目を回しながらそうした皆さんに勝手に尊敬の念を抱いています。
仕事柄、夕刻以降の会合も多いため、子供の夕飯は作り置きになってしまうことも少なくないのですが、毎日帰りがけに買い物をしながら「明日のお弁当や夕飯は何だったら喜ぶかな」と考える瞬間は、こんな人生にならなければ自分の中に生まれなかった時間です。
長女は教育実習的なフィールドワークで白糠町の小学校に行かせて頂き、めちゃくちゃに感動して過ごしているようで、電話でマシンガンのように話しています。

口にはしませんが、日々のどんな瞬間も、妻に見せてあげたかったなと、やっぱり思います。

2ヶ月くらい何も書いておらず、上げる画像も特に無かったのですが、先日夕飯の作り置きを野菜炒めにした時に添えた目玉焼きを長男がLINEのプロフィール画像にしてくれていたので、何となく平和なこの一枚を貼らせて頂きます。
いえ、時間のない中でしたのでこの程度の出来ですが、ホントはもっと上手なんですよ。ホントなんですよ。




2021.1.1


年末から家に戻って来ていた長女が昼に釧路に帰って行きました。
長男も最近通い始めた塾に出かけて、久しぶりに一人で家で過ごしています。

長女が戻ってきたのが26日だったのでその日をクリスマスということにし、長男がクリスマスツリーを組み立て、昨年までと同じように色々と買い込んで過ごしました。
ツリーは20年前に買った2千円もしないような安物でもうボロボロなのですが、家庭内ではサンタクロースは一応いるという整理の元、毎年イブの夜にこのツリーの下にプレゼントを置いていたので、それなりに重要な存在です。今年はツリーも少し様子が違うなと思っていたかも知れません。
正月はお雑煮も作ってみましたよ。

そして昨晩はホントならハシモトコウ新春アワーをやってた日でした。
昨年1月の新春アワーの頃、自分は出向中のJR北海道で仕事に必死で、新型コロナはまだ現実のものではでなく、長女・長男は大学・高校受験の真っ最中、そして家にはまだ妻がいました。
夢の中のよう、という言葉ですら足りないほど、何か前世の自分でも振り返っているかのような気持になります。

昨日は3人で大掃除をし、久しぶりにガランとなった部屋でソファに座ると、喪中なのに長男がフツーに買ってきた鏡餅の向きが斜めになって、ヒマワリみたいに窓のほうを向いています。
掃除の最中に向きが変わったのか、長女・長男のどちらかがやったのか、そのどちらでもないのか分かりませんが、陽の光を受けながら眩しそう。
余裕がなくて本当に忘れていたのですが今日は結婚記念日でした。
生きていれば48歳の年女で、お餅の姿で少し家に戻ってきたのかなと思い、子供もいないので久しぶりに少し涙が出ました。

なんて、少し重たい感じになってしまいましたが、今年も良くも悪くも仕事と家事・子育てに翻弄されながら過ごしています。
今年も宜しくお願い致します。




2021.5.30

今日は長女桜の誕生日。色々なことがありましたが、二十歳になりました。

20年前の写真を取り出してみました。生まれたばかりの桜をずーっと見ている妻。この日を迎えさせてあげたかったと思うと言葉になりませんが、どこかで喜んで笑っていることでしょう。

日々の生活=ハシモトコウSingle Fatherアワーは、仕事の忙しさもあってなかなかハードで、ほぼ部活。仕事帰りの買い物、夕飯作り、お弁当、掃除、洗濯等々、OJTで修行中です。
イトーヨーカドーで買った千円エプロンは案外似合ってる気がして、次回コウアワーの衣装候補です。

長男の伶は大変そうな父に気を遣ってくれているようですが、と言ったってフツーの高二男子なので、毎日夕刻に「今日のご飯は?」とLINEで聞いてきて、これはこれで微笑ましいものがあります。
こうした生活もまた永遠に続くのではない訳で、山あり谷ありを大事に過ごして行きたいものです。

お気遣い頂いている皆さんには本当に感謝しかありません。
緊急事態宣言下での記念日なので、釧路にお酒(初級〜中級編)を詰め合わせて送り、伶と3人でリモート誕生会です。妻もどこからかリモート参加してくることでしょう。
桜、二十歳おめでとう。