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お耳に入っている方もいらっしゃるかも知れませんが、今年の1月末に妻の体調に異変がありまして、精密検査をした結果、癌と判りました。 現在、転移を抑えるための抗がん剤治療を先行して行っており、夏に摘出手術を行う予定です。 摘出以降は人口のものを装着とならざるを得ず、非常に重たい決断となりましたが、それで命が繋がるなら躊躇する理由がありません。今は更なる転移が無いことを祈るばかりです。 ちょうど長女が高校受験期だったため、それが終わった3月に、長女と長男に全て伝えました。彼らなりに受け止めてくれているように感じます。 妻自身も友人と会う機会があれば全て話しているようなので、手術までの見通しも立って来たことから、この機会にお伝えさせていただく次第です。 自分は16年前、当時60だった母を同じく癌で亡くしており「何故また?」という思いは当然ありますし、この半年間、気持ちが弱ることもないと言えば嘘になりますが、良くも悪くも自分の毎日や人生が変わりました。 新しく経験できている貴重なものも数多くあります。 長女の高校入学と長男の中学校入学が重なったので、職場の皆さんにお願いして二人の卒業式・入学式にも一人で参加してきました。 高校はお弁当なので毎朝早起きし、長女の補助員として「ご飯詰め+梅干し・ごま塩トッピング」の役割を担っています。 出不精な日も続くなど色々と不義理も重ねておりますが、変わらぬお付き合いをお願い致します。 |
今は8月30日の午前3時。 抗癌剤治療を続けていた妻ですが、先週容態がやや悪くなってそのまま入院し、昨日29日に癌摘出手術となりました。 朝の8時に手術室に入り、終了したのは少し前の午後11時。待機している自分も具合が悪くなるような、約15時間の手術でした。 0時過ぎに執刀チームの先生に説明をいただきました。 神経が随所に走っている箇所で時間を要したものの、無事終了したとのこと。 感謝の言葉もありません。 手術室から戻ってきた妻の体には、昨日朝には無かったストーマという装置が付いています。一生の付き合いとなり、御存知の方は御存知の通り、身体障害者手帳が交付されることになります。 勿論、そんなことでネガティブな感情が湧いてくるはずもありません。このストーマ君は地球上でたくさんの命を救っているのでしょう。 空想特撮シリーズ好きの私は、YouTubeに上がっている初代ウルトラマン最終回(1967年)を先日見つけ、長女・長男に自慢気に見せたらゲラゲラ笑われました。 http://www.koh-h.tv/ultraman_zoffy.mp4 ゼットンに倒されたウルトラマンを助けに地球に来た兄ゾフィーが「私は命を2つ持ってきた」という衝撃台詞と共にウルトラマンとハヤタ隊員の両方を救うという、ある意味身も蓋もない展開。 映像や音響の古さとも相俟って確かに突っ込みどころ満載ですが、このストーマ君こそまさしく2つめの命そのものです。 外科医の弟によると、ストーマは「名前を付けると愛着が湧いていいぞ」とのこと。さすが弟。良いことを聞きましたのでイイ名前を付けましょう。 再発、転移、後遺症等々の不安は勿論尽きませんが、術後の経過等また機会を見て書かせていただきたいと思います。 お世話になった病院関係者の皆様、私を看病や子供の世話に何度も送り出してくれた職場のみなさん、そして陰に陽に妻や子供達を支えて下さった多くの方々、本当にありがとうございました。 |
先程時計の針が0時を回って7月1日になり、一年の半分が終わりました。 以下、投稿して読んで頂くには申し訳ないような内容ですが、吐き出してみると少し楽になるのかなと思って深夜に乗じ書いてみます。 妻の癌は、昨年手術で切除して抗癌剤治療を続けたものの、4月に肺への転移の疑いが浮上し、5月の様々な検査等を経て、6月にまた手術を行いました。結果的には転移でステージも自動的に上がり、今は再び抗癌剤治療のため入院中です。 前だけを向いて治療していることは言うまでもないのですが、40代半ばという年齢で癌入院病棟の中に混じって寝ている姿が単純に可哀想でなりません。 ストマを装着しているために既に日常生活には様々な制約があり、好きだったのに出来なくなったこともたくさんあります。今日、偶然その一つの話題になった時、思い出しながら「楽しかったなー」と笑った顔を見た瞬間、癌が判明してから一年半、絶対に泣かずにいた自分の感情の堰が不意を突かれて崩壊しました。 「闘病」とは良く言ったもので、心と、体力と、時間と・・・。今と将来を含む全てのもの達との戦いですね。 それでも子供達との生活は毎日やってきますし、自分の仕事も変わらず続きます。 楽器のエフェクターの中に"コンプレッサー"というものがありまして。音量の山を削り、谷を埋めて、均質に揃える機械です。 自分の中に一日に何度もやってくる胸をえぐるような激しい感情の振幅にコンプレッサーをかけながら毎日を送るのですが、問題はコンプレッサーには電源供給が必要なことで、供給するエネルギーが自分の中に無くなってしまいそうな時が数えきれない程ありました。 そんな時、お医者さんの前向きな言葉、外科医の弟からの助言、そして友人・同僚等の直接・間接の支えが、綺麗事などではなく、文字通り、正真正銘、補ってくれました。 感謝は言葉になりません。 今日までそして明日から。医学の進歩を信じ、萎縮せず、勿論悲観など全くせず、希望を胸に過ごして行く。 そういう当たり前のことを宣言したかったのですね、急にこんなことを書き出した自分は。 NO MUSIC, NO LIFE!2週間後は納涼アワーです。 |
昨日未明の投稿、こんな文章を読ませられても困るだろうなと申し訳なく思いつつ、初泣き記念で(笑)書いてみたのですが、余りにも沢山の方々にいいね等やコメントを頂いてしまい、申し訳なさを重ねてしまったように感じています。 では書かなければ良かったというと、誠に厚かましい話なのですが、やっぱり書いて良かったです。ありがとうございました。 自分がこの状況になってから既に1年半が経っています。その間に例えば子供はそれぞれ高校と中学に入学して進級し、仕事では2度の人事異動を挟んでいます。1年半というのはとてつもなく長い時間なんですよね。 昨日、感情の振幅の話を書いた通り「負」の感情に支配される時間が存在してしまうのは仕方のないことですが、自分が救われているのは、「楽しい」と思えるはずのことを楽しめなくなったことが今日まで一度もないことです。 あの時の◯◯、あの場所での◯◯・・。数えたらキリがありません。その一つ一つに感謝です。 写真は「提灯」。納涼アワー用に購入した新グッズです。 学生時代のある時、お祭り会場でアルバイトをした際に、今から思えば単に騙されたと思うのですが、ギャラの代わりに会場に設置された大量の提灯をもらいました。 私は興奮し、一人暮らしの部屋の天井一杯にそれを吊りました。「松竹梅」とか「キリン」とか無秩序に書かれた提灯達を見上げながら、季節が変わっても飽きるまで(恐らく半年以上は)寝起きしていました。 提灯に対する想い入れ捨て難く、以前からフライヤー等にあしらっていたところですが、いよいよ会場に導入したいと考えて通販で購入したものが、週末に届きました。 超安物のポリ製ですが、提灯に貴賎はありません。ただ超安物がこれだけあると、新品なのに既に廃棄物に見えますね・・。 全ての照明を落として提灯灯りだけの時間とか、絶対作ったほうがいいですよね! ステージ上でドラゴンとかに着火したいところですが、小樽開建部長が消防法違反で捕まるとか洒落にならないので自制します。 2018納涼アワー「提灯」。お楽しみにー。 |
最大震度7の地震を震度5の地点で受け、取るものも取り敢えず車を飛ばすー 不思議なほど3.11の時と同じでした。 全く違ったのは周りの光景で、7年前は都内で行き場を失った無数の人が何kmにも渡って沿道を彷徨っていたのに対し、今回は直後の停電により真っ暗で、人の姿も前後を走る車もありません。 職場へ向かう高速道路の照明も午前3時台はまだ全て落ちたままで、行ってはいけない真っ黒な何かにスピードを上げながら突っ込んでいくような気持ち悪さを覚えていました。どちらも一生頭から離れることはないでしょう。 それにしても観測史上最大という台風対応を足掛け2日でようやく終え、帰宅したその未明に観測史上最大の地震。 あまりの容赦の無さに一瞬やり切れなさも感じてしまいますが、ニュースに映る被災現場の映像を見て言葉を飲み込みます。 自宅のある琴似は市内の電力復旧の最終エリアでしたが、7年前、防災頭巾を被って部屋の中で怖がっていた長女・長男も、ラジオを聴きながら2日弱のサバイバル生活を送っていました。 画像は何日の何時だったかも忘れてしまいましたが、全道の地域と全ての持ち場の責任者が不定時に情報を共有するTV会議です。 公開を前提としたものでは勿論なく、自分が写ったものでもありませんが、災害対応の状況は支障のない限り知って頂くことも非常に重要なことだと思っており、画像を多少加工した上で上げてみます。 自分が気付いていない中で不適切な点があれば削除致しますのでご指摘下さい。 |
ものを書けば少なからず重たい内容が混じり、そんなものを読んで頂くのも申し訳なく、結局このページやSNS等から離れている自分がいます。 にも関わらず、たくさんの誕生日のお祝いを頂いてしまい申し訳ありません。 自分の内面はもうずいぶん長い間、「人」という字の形をしています。 格好悪い話ですが、色々な事を考えてしまったり、単純に疲れて傾いている左側の棒と、それを支えているポジティブな気持ちの右側の棒。 どちらも自分の一部なのですが、右側の棒が少しずつ弱くなって行く気がしているのも事実です。 そんな中での54回目の誕生日、自分の右側の棒が自分以外の多くの方々に支えてもらっている事を改めて感じ、心から感謝しています。ありがとうございました。 長女の弁当作りと私のごま塩係の関係も半年前から修正がなされ、今は一緒に自分の弁当を作っています。 とは言っても長女は卵焼きが得意なのでそれを、自分はWebSiteを参考に編み出した超簡単な方法で目玉焼きを作るだけで、そこに「自然解凍」の冷凍食品2品と野菜等の残り物を詰めて終了。 Facebook上で見かける皆さんの綺麗なお弁当の写真を見ると、これを自作の弁当と呼んで良いのかという罪悪感もありますが、貴重な日課です。 弁当を作り終えた頃、極端に朝に弱くフルーツだけをこよなく愛する長男が起きてきて、適当な朝ご飯を3人で食べ、残り時間で洗い物&ゴミ出しをして電車に飛び乗るスリリングな日々。一週間に一度は失敗します。 長女は修学旅行、長男は学校祭や期末試験の時期で、ちゃんと面倒を見てやれずに申し訳ない気持ちになりますが、不満を顔や言葉に一切出さずに過ごしていることに感謝しています。 お正月の新春アワー、本当にやれるのかという思いもよぎりますが、自分の右側の棒の何より重要な一部です。 例年だと10月に入ると正式な告知をしているところですが、遅れ中。チケットが出来たら気持ち新たに告知させていただきます。 あれこれ企画を仕込む余裕は無いのですが、自分が今できる最高の演奏をしたいと思います。 |
午前5時。 打ち上げも終わった劇場の中です。 客席に見えたお一人お一人を思い出しながら、一人、ご厚志で頂いたお酒の一本を飲んでいます。何も言葉になりません。 楽器や色々なものと一緒にこれから帰ります。 皆様、ご来場、本当に本当にありがとうございました。 |
https://youtu.be/Nk36UskMw7Y |
ちょうど一週間前、北海道内地上波6局で同時生放送された「みんなで道フェス!2019」にも出演された、日本のドローンパイロットの第一人者、請川博一さん。 これはもう率直に不思議であり、ただただ感謝しかないのですが、朝ドラからCM撮影まで引っ張りだこの請川さんが何故か私のライブなどに愛情を寄せて下さり、昨夏の納涼アワーに続き、新春アワーの全曲を撮影・編集して下さいました。 さすがに気が引ける私に対して「病床にいて会場に来られない奥様にも見て頂きたいので」と制して下さり、また請川さんに加えて二人のプロの方がご一緒にも関わらず当方の予算に負担が生じないよう「研修」という名目として、全ての作業を行って下さったのでした。 随所に散らばっている私の演奏の不安定な部分は、単なる実力不足とあの場の楽しさ故の油断が入り混じった産物です。 それでも恒例の「餅撒き」のシーンなどではお客様の表情も見えて、言葉にならず、逆に苦しくなるくらいの嬉しさや感謝の気持ちが蘇ります。 本来こちらが用意すべき環境を全く整えられていない中での撮影でしたので、チーム請川の皆さんにこそ不本意な思いをさせてしまっているのではないかとも思うのですが、感謝を込めまして友達の皆様にご紹介させて頂きます。 指揮して下さった請川博一さん、撮影して下さった藤田忠司さん、撮影に加えて事後の編集もして下さった宮崎湧太さん、本当にありがとうございました。 全26曲、宜しければこちらからご覧下さい。 Play List |
昨年4月に小樽に赴任し、後志の皆さんに涙が出るくらい良くして頂いて一年。本日をもって小樽を離れることになりました。 人事異動の内示は既に出ていたのですが、今回の場合はプレスリリースがあってそれまでお伝えできず、本当に心苦しい最終週でした。 異動先は、辞職→採用という手続を経てJR北海道への出向です。説明するまでなく特殊な人事で、ミッションは北海道新幹線の札幌新駅周辺の地域計画や、道内路線の維持に関する検討のお手伝いなど、諸懸案の推進です。 前例もなく、重責が務まるのか不安も大いにありますが、名誉なご指名、1年間行ってきます。 後志ビギナーが生意気にも「世界の後志を目指して」と言い続けた1年間。 振り返ると滑稽にも映りますが、自分は大真面目に小樽・後志という地域が大好きでした。 お世話になった方々を列挙し始めたら止まらなくなります。 先週と同じはずの小樽の風景に、今週は違う心象風景が重なって見え方が変わってしまっていましたが、目に焼き付けながら過ごしておりました。 直接ご挨拶できないまま離任しなければならないことが本当に心残りです。 お世話になったたくさんの皆様、一年間本当にありがとうございました。 |
JR北海道に出向してちょうど1ヵ月となる昨日。私に代わって北海道新聞が近況を掲載してくれました。 二本の記事はそれぞれ別の内容ですが、端的に今の自分を取り巻く状況を表しています。 北海道議会参考人招致の写真は、10:00?18:00まで休憩を挟んで延々7時間、たくさんの議員の皆様からひたすら厳しいご意見を頂き続けている図。表情もさすがに凹んでいます。 二つ目の記事は3/30記事と違って退職・転籍したかのような記述が消え、今回は親戚からの心配電話がありません。ありがとう道新。 この4週間、重たいミッションや社会的な批判の中で、率直に精神的には消耗していますが、社内的には疎外されているわけでも苛められているわけでもなく、社員の皆さんは仕事の能力も人格も本当に素晴らしく。 鉄道事業者らしく早め早めの行動が基本で、始業時刻の10分前には「JR北海道社歌−北の大地」が流れ、その後朝礼−という異文化にも触れています。 三次会の締めのようなダークダックスの曲を毎日朝イチで聴く新鮮さ! 早速次回新春アワーの課題曲と位置付けていますので、皆さん、しっかり覚えて下さい。 「♪北の大地」 |
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JR出向中の自分の仕事=札幌駅周辺開発の計画は、スケジュール的にも構造的にも北海道新幹線と一体不可分なため、必然的に相互の調整が多々発生します。現在の新幹線札幌駅の計画は2018年3月に決定されたものですが、(先日の財界さっぽろインタビューでも述べた通り)「今日的に考えるときっとここは更にこうしたほうが‥」と感じるものもやはりあります。 一方でこの新幹線計画が「五者会議」(国交省、道庁、札幌市、鉄道運輸機構、JR北海道)という固ーい会議体による神経質な議論を経たものであることから、再検討を行うこと自体にハードルを感じることもありましたが、各機関と調整を重ねまして、昨日、新幹線駅の計画変更に関する報道発表&記者会見を行いました。 財さつで述べた「創成川東側に改札口が作れない問題」「創成川通から新幹線駅に直接アクセスできない問題」は幸いどちらも解消でき、その他、移動の分かりやすさを重視して新幹線、在来線、新幹線・在来線乗換の各改札を同じ3階フロアに集約する点などを内容としています。 絵は「新幹線が見えるタワービル」のイメージです。お子様達にも人気の場所に出来ると良いのですが。 率直なところ、一から何かを作り上げるのも大変だけど、一度決まったものを変える事の大変さの比じゃないな・・・とほとほと感じた9ヵ月でした。 ただこの機会に社内の色々な部門と縷々議論を行った時間は貴重で、先日の新春アワーの社歌「北の大地」演奏時に映した "社員が大勢肩組んで輪になって歌ってる映像" は、この議論を通じて作った横断的飲み会のいちシーンです。 言うまでもなく独善に陥ることなく、将来に禍根を残すことの無いよう検討してまいりますので、引き続き色々な視点からご意見を頂ければと思っています。 (記事は1/16, 17道新朝刊より) プレス資料 |
気持ち的には1月中旬にやりたいと思っていたことが続々と2月にずれ込んで、自分の投稿の「今さら感」が恥ずかしいのですが、お許し下さい。 |
JR北海道では、"勤務時間の調整"のため「半ドン」が1〜2ヶ月に一度程度やってきます。 ※ 半ドン(はんドン):午前中に業務・授業が終了して午後が休みの早期終業のことを指す俗語。午後半休のこと。(←Wikipedia) 今日はその半ドンの日で、出勤してPCを開きましたら役員秘書室からメールがあり、本日発売の財界さっぽろ「財界サロン」というコーナーに記事が載ってるとのことで、切り抜きを送ってくれました。 記事は、先月の新春アワーで演奏した「Take The JR Train」とJR社歌「北の大地」の模様などを取り上げて下さっています。 自分に課せられた新幹線札幌駅周辺開発の計画立案ミッションはそれはもう重たくて日々擦り減っていますが、その分深くなった "JR北海道愛"でフィーチャーした2曲を、冷やかしもなく温かい目で取り上げて下さった記者の方に本当に感謝です。 「2階席のJR北のみなさんに温かい声援が向けられ、場内は温かい空気に包まれた」 最後のこの1文だけでも、せっせと仕込んだことが報われる思いです。 財界さっぽろさん、そして「温かい声援を向け」て下さった会場の皆さん、改めましてありがとうございました。 ♪ Take the JR Train ♪ 北の大地 |
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全ての国の、全ての世代の、全ての立場・属性の人たちの人生が一変し、もうどのくらい経つでしょうか。 必死という状態すら通り越した方も多数いらっしゃるのだろうと思います。 国土交通省という組織柄、大きな自然災害に幾晩も夜通し対応することも少なくない自分達ですが、今回の医療従事者の方々のご苦労は想像できると言うことすら憚られます。 一方、医療従事者の方々が動かして下さっているのが人間の体で言えば心臓だとすると、生死への直結性という点では異なるものの「五感」のような社会の機能もあり、その一つが文化や芸術であると思っています。笑い、泣き、驚き、悲しみ、怒り…心を動かしながら人間は生きているはずです。 私どもNPOが運営している劇場コンカリーニョも活動を停止して久しく、これまで乗り越えてきたどれとも違う危機と対峙しています。 劇場やライブハウス等の小屋の維持の固定費は小さくないものでして、コンカリーニョの場合は人件費を除いた場所代(施設として組合に納入する家賃)だけで月55万円。スタッフ全員の給与が仮にゼロでも発生する支出です。 ついては何とか当面の3か月を乗り切るべく、55万円×3=165万円を目標額としてクラウドファンディングを立ち上げさせていただきました。 十分な返礼もご用意できておりませんが、ご協力をいただければ幸いです。 シェア等で情報の拡散をして下さるだけでもありがたく思います。 https://actnow.jp/project/concarino2020/ 8月16日のLiveハシモトコウ納涼アワーも、風前どころかスコール直下の灯という感じですが、その時に笑ってライブができると信じることだけは自由! みんなで再会できることを祈りまして。 |
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5月3日にご協力のお願いをさせていただいたNPO法人コンカリーニョのクラウドファンディングは、本当にたくさんのご支援の下、目標額を大きく超える300万円に達しました。 苦しい状況にいるのは皆同じ中、直接的な支援は難しいながら気持ちだけでも寄せて下さっている方もたくさんいらっしゃると思っていますし、"力になれず申し訳ありません" というご連絡をいただくと逆に本当に申し訳ない気持ちになります。どのような形のご厚志にも感謝しかありません。 私達は以前も一度、こうした形で皆さんに助けられたことがあります。 3年半前、劇場の心臓部である照明ユニットの老朽化が進んで機能維持が困難となる一方、約300万円に上る費用を私達だけではどうしても捻出できず、クラウドファンディングに頼ったのでした。 その際も、目標額の1.5倍を超える450万円のご支援をいただき、謹んで照明ユニットを交換して現在に至っています。ハシモトコウアワーで照明家・高橋正和が当ててくれるあの灯りも、こうして支えて頂いたものです。 コンカリーニョを再建したのは2006年で、当時2千万円超あった借り入れの返済は思いのほか長期化しています。 時代背景的には自分達が芝居を始めた1980年代半ばの小劇場ブームの頃とは比較にならないくらい、劇場に足を運ぶお客様の数が減少していた厳しい時期でもありました。 それでも借り換えや支援制度も様々活用させていただきながら少しずつ返済を重ねて14年。 債務は相変わらず半分以上残っていますが、スタッフによる様々な努力も実り始め、ようやく上向きの稼働率と収支になり始めていた矢先の出来事でした。 今回再びご迷惑をお掛けしてしまい、育ての親のような皆さんからすると、仕送りは一体いつまで続くのかと心配をかけてばかりですが、寄せていただいている期待に応えられるような成長を少しずつ続けていることもまた、お礼とお詫びに代えてお伝えさせて下さい。 一方で個人的な件となりますが、コンカリーニョとある程度付き合いのある方々とは別に、年に一度ハシモトコウアワーにお越し下さる方、仕事関係の方、古い友人など、橋本個人との繋がりによるご支援も100万円超に上っています。 本当にありがたく、また申し訳なく、背筋を伸ばしながらパソコンに向かって頭を下げています。 先が全く見通せない中で、厚かましくも目標達成以降も期限までクラウドファンディングを続けさせていただきたいと思っていますが、直接・間接を問わずご支援いただいている状況に心からお礼を申し上げます。 本当にありがとうございます。 |
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たくさんの被災者の方や同僚達が豪雨災害への対応に当たっている中で個人的な話となりますが、定期的な報告としてご容赦下さい。 今日は終日お休みをいただいて、妻を病院に連れて行く日でした。 こうして休暇をいただいて定期的に病院に行く生活も3年半となりました。現在のJRも含めてこの間にお世話になった4つ職場の関係者の方々には本当に感謝しかありません。 今日は、緩和ケアのお話なども伺いました。 先生のお話を聞く間は自分の脈の音が聞こえそうな程の感情の起伏があり、色々なことも勿論考えてしまいますが、笑って過ごせています。 全て終了した時にはもう夕刻で、今日の札幌は強い西陽でした。 妻にとっては久しぶりの外の空気なので、車椅子に乗せて広い駐車場を散歩しました。 80歳とか90歳の老夫婦になったらこんな感じだったのかななどと思いながら車椅子を押しました。 唐突に何ですが、ブルースの世界に「クロスロード伝説」というのが存在します。ややB級のテイストが混じりますが映画もあります。 この数ヶ月の間に「わたし的クロスロード現象」が起きており、妻に在宅酸素が必要になり始めた時期と感染予防対策で自分も基本的に自宅にいる時期が重なって、色々なことを考えながら夜な夜な弾いているうちに、元々好きだったブルースギターがめちゃくちゃ上手くなりました。もうヤバいです。 ずっと同じことを書いていますが希望は全く捨てておらず、毎日毎日、明日から何かが起きて良くなることを考えて過ごしています。 次回の定時報告ではそれが起きたというニュースと、「橋本幸、卵焼きが上手くなる」の2本をお届けする予定です。 以上、いつも気に掛けて下さる方々に感謝を込めまして。 |
3年半前に重い癌が見つかり闘病してきた妻・利江さんでしたが、本日朝から容体が急変し、必死の看病も甲斐なく、午後4時5分に亡くなりました。(身内ではありますが、いつもの呼び名で書かせて下さい) 最後は抱きかかえた中で眠るように息を引き取りましたので、3年半の苦しい闘病の最期を悔いなく終えたんだと思ってやりたいです。 今日はちょうど利江さんの47歳の誕生日でした。利江さんは47歳になるまで頑張って生きました。 もう一緒に話したり笑ったりする時間が永遠に来ないと気付く都度、悲しくて悲しくて胸がえぐられ気がおかしくなりそうになりますが、死んだ母の左右の手を握って座っている長女・長男のためにも前を向いて生きて行きたいと思います。 なお、失礼ながら葬儀は親族のみで執り行わせて頂きたいと思っています。 生前お世話になった皆様、今日まで支えて下さった皆様に、一言ご挨拶まで。 本当にありがとうございました。 |
昨日は亡くなった妻の四十九日でした。 私自身は宗教観を持っていないのですが、区切りの日でもあるようなので何か書いてみようかと思います。 生前の妻のことを最後に書いたのは7月9日でした。 病院の駐車場を散歩しながら「80歳とか90歳の老夫婦になったらこんな感じだったのかななどと思いながら車椅子を押しました」なんて書いていま もう80、90なんて贅沢は言いません。せめて50、60まで生かしてくれなかったものかと、誰を恨むわけでもなくひたすら考えます。 日々の生活は長男と2人で、また長女もちょいちょい夜行バスで釧路から帰ってきて3人で、買い物をしたりご飯を食べたりと、寄り添うように生きていることは実感します。 幸い卵焼きは少し上手になり、自分+長男2人分のお弁当を作るようになりましたが、朝起きてから出勤までの約2時間は正に戦場! 憚りながら要職を拝命して勤務時間中は目が回るほど慌ただしいのですが、不謹慎にも、一日で最も大変なのは朝と夜ごはん時というのが偽らざる本音です。 それでも長男は大して上手でもない料理を「美味しそう」とか言って食べてくれるので、無理させてるなーと思いながらも頑張る元気になっています。 さすがに疲れた時は、そのまま憚ることなく「♪ 疲れ果ててー」と往年の日本のロックの名曲を口ずさんでいます。次回のコウアワーの1曲目はこれですね。 https://www.youtube.com/watch?v=-A4Snwsd_Q8 あの日からギターを弾かない時間も49日になりました。 意識的に控えているわけでは勿論ありませんし、頭の中では「こんな時こそ音楽」なんて思っていながら、なぜかギターに手が伸びません。 ただ結果として当面最後の演奏となった「恋のトータルステーション」の仕事は、様々な見方を頂きながらも道内は勿論、東京のニュースや朝日新聞の天声人語の取材まで頂き、PV視聴も2万回を超えたりしているところです。 振り返ればイントロのカッティングは半分徹夜で看病した朝4時頃に急に思いついて録音し、プロデューサーの亜矢さんにリモートで送付したフレーズでした。きっと御褒美だったんだと今は勝手に解釈しています。 https://youtu.be/6n8sPOy882c 例年なら10月に新春アワーの告知をするところですが、さすがに見送りたいと思います。 またいつか出来る日が来れば良いなと思っています。 書きなぐり感満載の文章群ですが、お許し下さい。 様々なお気遣いに心から感謝しています。 |
日が短くなりましたね。 夕方、札幌駅あたりをぷらぷら歩いていたら18時過ぎには暗くなり、それはそれで少し楽しい気持ちになって久しぶりに楽器屋さんに寄ってみました。 ふとカウンターを見ると、メガネをかけた高1か中3くらいの男子がお母さんにお金を払ってもらっていて、ソフトケースに入ったギターを照れながら肩に掛けて帰って行きました。 これは何十回見ても文句なしに楽器屋さんで一番好きな場面でして、「嬉しいんだろうなー」とか勝手に気持ちを想像しては「う?」となります。 「ギター、初心者セット」とWeb検索してみると色々な画像がヒットしますが、昔と今の最も大きな違いはチューナーではなく音叉だったこと、そしてカポがゴム製品だったことですよね。 と思ってカポのコーナーを見ると、化石のようなゴムカポが一つ売っていたので買って帰ってきてしまいました。 あー懐かしい。 ゴムもシングルとかダブルとかあったなぁ。 などと考えているうちに、あれほど弾く気が起きなかったギターが不思議と弾かさりました。 楽しい。 結構本気で嬉しくて、色々な巡り合わせにしんみり感謝しております。 |
10月1日は十五夜でしたね。 深夜に家に帰ると長男が買ったらしいお団子とお饅頭が窓際に飾られていました。彼の母が毎年やっていた記憶を頼りに再現してみたと思われます。 一方で食欲も抑えられなかったと見られ、お団子を挟んで2匹いたはずのお饅頭の兎が既に1匹姿を消しており、いくつか抜かれた跡のあるお団子は表面の「粘り」のみで重力に抗っている様子です。 十五夜など気に留める余裕もなかった自分に季節を感じさせてくれた、楽しいお供えでした。 |
寒くなりましたね。 今日は妻が亡くなった真夏の日からちょうど3ヶ月という日でしたので、久しぶりに思いつく事を書いてみます。 今晩は長男が中学時代の友達4人を家に呼んで泊りがけで遊びたいとのことで、自分は夕刻以降、三畳一間の楽器用防音室に様々なモノを持ち込んで過ごしています。 長女・長男の高校・中学時代は丸ごと3年間妻の闘病期間と重なって、友達を家に呼ぶことも全くさせてやれませんでした。 楽しそうな声を聴きながら、計算上、四畳半フォークの世界の1.5倍の濃密さで酒が進んでいます。 仕事、家事、子育て、介護などなど。周囲にはそれらを両立している方々がたくさんいますが、もう毎朝・毎晩、目を回しながらそうした皆さんに勝手に尊敬の念を抱いています。 仕事柄、夕刻以降の会合も多いため、子供の夕飯は作り置きになってしまうことも少なくないのですが、毎日帰りがけに買い物をしながら「明日のお弁当や夕飯は何だったら喜ぶかな」と考える瞬間は、こんな人生にならなければ自分の中に生まれなかった時間です。 長女は教育実習的なフィールドワークで白糠町の小学校に行かせて頂き、めちゃくちゃに感動して過ごしているようで、電話でマシンガンのように話しています。 口にはしませんが、日々のどんな瞬間も、妻に見せてあげたかったなと、やっぱり思います。 2ヶ月くらい何も書いておらず、上げる画像も特に無かったのですが、先日夕飯の作り置きを野菜炒めにした時に添えた目玉焼きを長男がLINEのプロフィール画像にしてくれていたので、何となく平和なこの一枚を貼らせて頂きます。 いえ、時間のない中でしたのでこの程度の出来ですが、ホントはもっと上手なんですよ。ホントなんですよ。 |
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年末から家に戻って来ていた長女が昼に釧路に帰って行きました。 長男も最近通い始めた塾に出かけて、久しぶりに一人で家で過ごしています。 長女が戻ってきたのが26日だったのでその日をクリスマスということにし、長男がクリスマスツリーを組み立て、昨年までと同じように色々と買い込んで過ごしました。 ツリーは20年前に買った2千円もしないような安物でもうボロボロなのですが、家庭内ではサンタクロースは一応いるという整理の元、毎年イブの夜にこのツリーの下にプレゼントを置いていたので、それなりに重要な存在です。今年はツリーも少し様子が違うなと思っていたかも知れません。 正月はお雑煮も作ってみましたよ。 そして昨晩はホントならハシモトコウ新春アワーをやってた日でした。 昨年1月の新春アワーの頃、自分は出向中のJR北海道で仕事に必死で、新型コロナはまだ現実のものではでなく、長女・長男は大学・高校受験の真っ最中、そして家にはまだ妻がいました。 夢の中のよう、という言葉ですら足りないほど、何か前世の自分でも振り返っているかのような気持になります。 昨日は3人で大掃除をし、久しぶりにガランとなった部屋でソファに座ると、喪中なのに長男がフツーに買ってきた鏡餅の向きが斜めになって、ヒマワリみたいに窓のほうを向いています。 掃除の最中に向きが変わったのか、長女・長男のどちらかがやったのか、そのどちらでもないのか分かりませんが、陽の光を受けながら眩しそう。 余裕がなくて本当に忘れていたのですが今日は結婚記念日でした。 生きていれば48歳の年女で、お餅の姿で少し家に戻ってきたのかなと思い、子供もいないので久しぶりに少し涙が出ました。 なんて、少し重たい感じになってしまいましたが、今年も良くも悪くも仕事と家事・子育てに翻弄されながら過ごしています。 今年も宜しくお願い致します。 |
今日は長女桜の誕生日。色々なことがありましたが、二十歳になりました。 20年前の写真を取り出してみました。生まれたばかりの桜をずーっと見ている妻。この日を迎えさせてあげたかったと思うと言葉になりませんが、どこかで喜んで笑っていることでしょう。 日々の生活=ハシモトコウSingle Fatherアワーは、仕事の忙しさもあってなかなかハードで、ほぼ部活。仕事帰りの買い物、夕飯作り、お弁当、掃除、洗濯等々、OJTで修行中です。 イトーヨーカドーで買った千円エプロンは案外似合ってる気がして、次回コウアワーの衣装候補です。 長男の伶は大変そうな父に気を遣ってくれているようですが、と言ったってフツーの高二男子なので、毎日夕刻に「今日のご飯は?」とLINEで聞いてきて、これはこれで微笑ましいものがあります。 こうした生活もまた永遠に続くのではない訳で、山あり谷ありを大事に過ごして行きたいものです。 お気遣い頂いている皆さんには本当に感謝しかありません。 緊急事態宣言下での記念日なので、釧路にお酒(初級〜中級編)を詰め合わせて送り、伶と3人でリモート誕生会です。妻もどこからかリモート参加してくることでしょう。 桜、二十歳おめでとう。 |