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Bluegrass
 
近藤房之介さん「Break Down Live」

吾妻光良さんのページで紹介した「PLAY THE BLUES GUITAR」の発刊と同じ1980年、これまた大変なライブが下北沢で行われています。
その様子を収めたのがこの「BREAK DOWN LIVE」。

モノの本による日本国ブルース黎明期における大事件といいますと、
・1972年冬にNHKで突如放送されたドキュメントフィルム「黒人の魂・ブルース」により初めて「動く」ブルースを見てしまったこと
・1974年の「第1回ブルース・フェスティバル」でロバート・Jr・ロックウッド&エイシズが上陸し初めて実際にブルースを見てしまったこと
等がよく挙げられます。
その点で言いますと、遅れてきた私にとっては「PLAY THE BLUES GUITAR」と「BREAK DOWN LIVE」がこの世に出た1980年が最重要年ということになりましょう。

ブレイク・ダウンのメンバーは、
 服田洋一朗(g,vo)、近藤房之助(g,vo)、森田恭一(b)、小川俊英(ds)
という方々。

これまたモノの本によれば、関西を中心としたいわゆる"日本のブルース・ブーム"というのは1974年から77年頃までを指すようですが、確かに、ウエスト・ロード・ブルース・バンド、上田正樹&有山淳司、サウス・トゥ・サウス、憂歌団・・・といった方々が全てこの時期に、京都・大阪から出現しています。すごいですねー。

御多分に漏れずブレイク・ダウンも元々関西のバンドなのですが、ここに突如、名古屋からやってきた凄いヤツ!それが近藤房之助さんというわけです。
そして既に"ブルース・ブーム"も過ぎ去りし頃に録られた1980年のライブの模様が、このレコードであります。

ここで聴ける近藤房之助さんの歌とギターのスゴイこと・・。
はじめてこのレコードを聴いたときは、もうクルクルクル〜と回転して空中に吹っ飛んでしまいそうでした。いやホントにそうとしか表現のしようがないのです。

余りブルースに馴染みがない方でも房之助氏の歌は既に有名ですからその素晴らしさもお分かりになるかもしれません。
実際このアルバムを聴くと、1980年にしてスゴイレベルに到達していることが確認できます。こんな時期の日本国で、ブルースをこんなに歌える日本人がいるというのは問題であります。

しかしさらに大問題なのは、房之助氏のギターでして、こんな時期の日本国で、ブルースをこんなに弾ける日本人がいるというのはホントーに問題です。
アタック、音色、リズム感、そしてフレーズの展開力・・・。
100回弾こうが1,000回弾こうが、間違っても1回とて房之助さんのような音を出すことはできません。
モノが違うとしか言いようのない、すさまじい説得力を持った、そういう音なのです。


室蘭BayCityLive

さて、大学を卒業し、就職した私の最初の赴任地は、北海道の室蘭市。
かつて鉄鋼、造船等で栄えたまちも、"鉄冷え"で人口も減少。サビれたといえば文字通りサビれたまちでしたが、人口が多かった頃の名残でなぜか異常に多い床屋、 景気が悪いにもほどがある繁華街「中央町」、しかし路地には小さいスナックやらバーやらが繁盛するでもなくツブれるでもなく妙に数多く残っています。

私は室蘭が大いに気に入りました。そして、とあるきっかけからとあるバーで、毎週ギターを弾くようになりました。
マスターの臼井一雄さんは、長年自分のバンドで室蘭で活躍しつつ、毎年「ベイ・シティ・ライブ」というイベントを主催し続けてきた方。
このバンドは地元の熟年ロッカーの皆さんの集まりでしたが非常に個性的でユニークで、そのうち私もこのバンドでギターを弾くようになりました。
そして、どこぞの町内会のお祭りや、漁港のイベントで大漁旗たなびくトレーラーの上で演奏したりと、実に有意義な活動をしていたのです。

そんなことをしていた1995年。このイベントに、ななななんと、近藤房之助さんを呼ぶことにしたというのです!
そして、この時の房之助さんの演奏は、私の音楽感が変わってしまうような、そんな強烈なものでした。

房之助さんのステージは、ピアノの大山やすしさんと2人だけという質素なセットでしたが、歌やギターがむき出しになってむしろ良かったと言えます。
BBキングさん、バディ・ガイさん、房之助さん自身も大好きなオーティス・ラッシュさんなど、私も本物のブルース・マンを少なからず見ているつもりですが、間違いなくダントツで一番です。
一音、一音の説得力。
残酷なことに私が前座でギターを弾いたため、房之助さんはそのまま私のギター・アンプを使用したのですが、あんな凄い音が出るアンプだとは知りませんでした。

このステージで房之助さんが弾いたギターのフレーズの数々は、その後の自分の演奏に多数取り込まれています。


このように完全に房之助さんの歌とギターの世界に打ちのめされていた私でしたが、ステージの最後、セッションということで突然房之助さんが私をステージに呼んでくれまして。
く房之助さんの気が変わる前にと、慌ててステージに駆け上がりました。

それはもう興奮しました。
その時の新聞記事は嬉しくてちゃんと取ってあります。
勿論記事が書いてくれているような腕前でもなければ、実力差があり過ぎて「壮絶なバトル」などには全くなっておりません。


近藤房之助さんはOtis Rushさんが好きで、房之助さんがラッシュさんのことを語る文章はラッシュさんに対する愛情が満ち溢れています。
以下はブラック・ミュージック・レビュー誌のとある号からの抜粋です。

"ブルース・フィーリング"というものがあるなら、それを煮詰めて、一番美味しいところを抽出したようなギター。ぐっと引っ張って、ここぞという時にあのベンディングが来るからたまらない。歌・ギター共に、リズム、一拍がすごく深くて、ボクなどは、あのタイミングを今だつかめない。その一拍の懐の深さがOtis Rushの音楽を凄くさせている。

1986年のOtisとブレイク・ダウンのツアーは忘れられない思い出だ。ボクはもう必死でOtisの音楽に置いていかれないよう背伸びをした。

分不相応の失礼を承知で書かせていただくなら、ここでラッシュさんのことを語る房之助さんの姿は、そのまま房之助さんを見る私の姿と重なります。
「今だにつかめない」リズムや一拍の深さとタイミング、一緒にギターを弾きながら「置いて行かれないよう必死で背伸びをした」こと・・・。

そして、房之助さんの書くこうした文章に一層人間味を感じ、「近藤房之助も今だに何かを追求し、モノにしようとしていること」もまた励みとなって、私は今も近藤房之助さんのギターを聴き、弾いています。