札幌ロマンチカシアターほうぼう舎
Introduction
第1回 瓶中闇雲捕物帳
第2回 星影の円舞曲
第3回 ペチカ
第4回 忘れ咲き彼岸花
第5回 薄紅の凡歌
第6回 かかし
第7回 砂時計
第8回 俯しのビアホール
第9回 天守物語
 
瓶中闇雲捕物帳 −びんちゅうやみくもとりものちょう−

第1回公演
瓶中闇雲捕物帳
1987年(昭和62年) 11月16(月) 17(火) 18(水) 21(土) 22(日)
 札幌市北区北21条西15丁目 北海道家具運輸新川倉庫
poster  ticket
作・演出 斉藤歩
Staff 赤松和夫 山本昌美
美術 横山敏宏 望月静華
音楽 橋本幸
役者 斉藤歩 腰丸千鶴子 すえざわりゅうしん 松本かおり 野口千祥子 前張メロン 舎川徹 三浦小太郎
注)公演当初のポスター・ビラ等に記載されたクレジットから転記したものです。その後の加入・交替等を反映していない場合があることを御了承下さい。


第1回公演 瓶中闇雲捕物帳

札幌ロマンチカシアターは、1987年(昭和62年)8月、北海道大学演劇研究会と小樽商科大学演劇戦線の メンバーを中心に旗揚げし、当初は札幌市北区の石造りの倉庫を拠点として活動を始めました。
劇団誌には当時の様子が残っています。

現在札幌では我々のような小さな劇団が芝居を打つことのできる空間としては、本多小劇場ぐらいしか ありません。
かつては様々なイベンターが共同運営していた「駅裏8号倉庫」という空間もありました が、それも86年に姿を消し、今は殆どの劇団が本多小劇場を使って公演しています。
87年11月の旗揚げ公演で、我々が最初にやらなければならなかったのが公演場所探しでした。(中略)

市内各所の倉庫、廃屋等をシラミつぶしに当たり、家賃、その空間の持つ空気等、総合的に 考えたところ、北21条西15丁目の新川倉庫が空いていることがわかり、大家さんもOK をくれ、そこで旗揚げをすることができたのです。

そこには天井高5m、広さも十分で、四方から役者が飛び出してくる我々の芝居に最高の空間で、そして 何よりも札幌軟石を使った石造りの壁は、この芝居の舞台であった港町の酒場「ボトルシップ」の空気を 作ってくれました。
また通常の劇場では不可能な「火」を燃やしてラストシーンを盛り上げるという事が できたのも、こういった倉庫公演ならではの事です。

元々ほうぼう舎の旗揚げ前に私達が活動していた北海道大学の演劇研究会は、大学当局にその存在自体を認められていない非公認団体で、 部室もなく、公演の都度設営する青色のテントが唯一の拠点という状態でしたので、自分達の居場所を確保できたことは、それだけでとても幸せなことでした。

また稽古場として倉庫の横のプレハブ建ての小屋も確保したのですが、こちらは台風が来れば壁がはがれ飛ぶし、豪雪時には建物全体が雪山の中に埋もれてしまい、各人が独自に編み出したテクニックで小窓から出入りするといった、手のかかる愛すべき建物でした。

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この芝居の舞台は"ボトルシップ"という名の酒場、という設定で、芝居全体の中に「ボトルシップ・ブルース」という既存の曲が流れていました。
このように予めテーマ的な音が存在していると、ついそこに縛られてしまい、音を作る立場としては随分苦しい思いをしたのですが、そういう自分の貧弱な発想を広げてくれたのがこの石造りの倉庫という場所でした。

自分は、芝居で使う音は可能な限りその場で生で弾いていましたが、いつも感じていたのは、倉庫の中で楽器を弾いたときの独特の響きです。
倉庫の構造自体は四角四面の体育館のようなものですから、音は当然乱反射をし、音響工学的には劣悪なはずなのに、倉庫の音の残響はとても柔らかく深い感じなのです。
「石狩軟石」という壁面の素材によるものかもしれませんし、単に気のせいかも知れません。
いずれにしても、せっかくなのこの響きを活かしたいという気持ちになったのですが、その時に思い浮かんだのが「ダルシマー」という楽器でした。

ダルシマーという楽器はアイルランドの音楽などに使われている民族楽器で、台形の形をしたボディに弦を2本セットで多数渡し、ハンマーでそれを叩きます。
その原理はピアノと一緒なのですが、叩いた弦の周囲の弦は全くミュートされない状態にあるため、1つの音を出した瞬間、全弦が一斉に共鳴を始めます。
その音の拡がりはちょっと他の楽器に例えることが出来ません。
これを倉庫の中で弾いたら良い音がするだろうなあと考えたのですが、そんな楽器、おいそれとそこらに売っているはずもありません。

御存知の方も多いと思いますが、札幌でアイリッシュ音楽を演奏して活躍している「Hard to Find」というバンドがあり、そのダルシマー奏者に小松崎健さんという方がいます。
小松崎さんは元々素晴らしいブルーグラス・バンジョー奏者で、当時私と小松崎さんは「スカイホークス」という、それはもう、とんでもなくふざけたブルーグラスバンドを結成して好評を博し、各種の演奏の仕事なども一緒にやっていました。

後年、小松崎さんの音楽は本格的にアイリッシュの方向へ移ることになるのですが、ちょうどその端境期、既に独自にダルシマーを製作していた小松崎さんに教えて頂きながら、札幌の「芸術の森」という施設の工房で小さなダルシマーを作りました。

私の作ったダルシマーはボディが小さかったためにそれ程壮大な音色で響くことはありませんでしたし、製作技術も未熟だったために何年か後に壊れてしまいましたが、独特の音色が前述のとおり発想が広がらない私を助けてくれ、芝居全体の音を構成することができたのでした。

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役者はクレジット上6人で、北大演劇研究会から斎藤、すえざわ、腰丸千鶴子(紅千鶴)、舎川徹、三浦小太郎が、小樽商大演劇戦線から前張メロン、桜太郎、野口千祥子が参加しています。

舎川徹は、当時北大演研の作・演出を張っていたこともあってほうぼう舎にはこの作品にしか出演していませんが、(ファンも多かったので知っている方ならお分かりと思いますが)体がデカいわけでもないのに放たれるあの存在感はタレントとしか言いようがなく、唯一の作品というのは誠に惜しまれます。

また野口千祥子も小樽商大で「グレート歌舞伎町」の名で存在感を放っていた強烈な役者でしたが、同じく惜しくも本作品のみの出演となっています。

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初演終了後の新聞等の劇評で、私達の芝居は"アングラ"という言葉で表現されました。
それが的確な評価なのか否か、当事者である我々には分かりませんが、ゴツゴツした石造りの倉庫という空間の真冬の底冷えの中でヒリヒリと芝居が始まって、役者は前のめりで自己主張し、しまいに炎の向こう側にハケて行く(笑)という芝居は、確かに"アングラ"っぽいものだったかもしれません。

とにもかくにも、札幌ロマンチカシアターは、ボトルシップの中から飛び出してユラユラと船出したのであります。