Theater Archive
 札幌ロマンチカシアターほうぼう舎
第1回 瓶中闇雲捕物帳
第2回 星影の円舞曲
第3回 ペチカ
第4回 忘れ咲き彼岸花
第5回 薄紅の凡歌
第6回 かかし
第7回 砂時計
第8回 俯しのビアホール
第9回 天守物語
 
第8回公演 砂時計

<札幌興業> 1991年(平成3年) 9月14(土) 15(日) 16(月) 18(水) 19(木) 20(金)
 札幌市北区八軒1条西1丁目 JR琴似駅前劇場
<旭川興業> 1991年(平成2年) 10月10(木・祝) 11(金) 12(土)
 旭川市神楽3条4丁目 神楽湯跡
<小樽興業> 1991年(平成2年) 11月23(土) 24(日)
 小樽運河プラザ
<札幌凱旋興業> 1991年(平成2年) 12月12(木) 13(金)
 札幌市北区北4条西3丁目 五番館西武赤レンガホール
poster
作・演出 斉藤歩
助演出 川村瀬戸
舞台監督 鈴木昌裕
美術 竹貫香
照明 鈴木志保
縁の下 寺嶋雅司
天井 森光太郎
鶯嬢 前張めろん
制作 岡本浩揮
音楽 橋本幸
役者 すえざわりゅうしん 紅千鶴 中井清史 桜太郎 猫月昂太 田中美好 佐藤ルカ 林千賀子 マコニ 斉藤歩
(クレジットは公演当初のポスター・ビラ等に記載のもので、その後の加入・交替等を反映していない場合があることを御了承下さい)



砂時計(すなどけい)

「巡業公演」−なんて裏ぶれた、かつ魅力的な響きでしょう。
札幌での興行も多少なりとも安定してきたし、次は札幌の外に出てさらにたくさんの方々に芝居を観て頂こうということで、1991年は巡業公演の年となりました。

しかし、何せ普通の劇場で普通に公演するというマインドに著しく欠ける劇団でしたので、公演場所探しも自業自得的に難航しました。
旭川、函館、小樽、帯広、釧路、室蘭・・・。
この中で、まず小樽商科大学演劇戦線とのつながりから、小樽公演が決定します。
さらに色々な人を頼りながら様々候補を上げて比較選考し、もう一カ所の公演先は旭川と決まりました。

*

旭川で公演することができたのは、御当地出身の役者・田中美好の八面六臂の活躍によるものです。
公演場所探しのために地元旭川に彼女を放ち、持ち帰ってきた結論は「つぶれた銭湯の跡」という想定外のチョイス。ナイス田中!
銭湯は言うまでもなくお風呂に入る場所。しかも建物内は廃業当時の状態のままで、入浴用の諸設備は勿論、大浴槽と一体となった富士山の壁画みたいなものまで鎮座しており、今思えばよくあそこで芝居を打てるまでに短時間で仕込んだもんだと我ながら感心します。

田中美好は前作「かかし」から参加した役者。
当時は確か卵焼屋かなんかで働いていて、商品搬送用を兼ねて自らワンボックスカーみたいのを所有・運転して稽古場までやって来ます。
そこだけ捉えると普通じゃない感じ満点なのですが、本人は全く至って普通の、実に可愛らしい女性でした。

勿論、(知っている方ならお分かりと思いますが)独特の"天才肌"感が随所にあって、日常の普通感との行き来が魅力だったのですが、それでも彼女が後にあれほどコアなファン層を獲得する人気役者にまでなっていくとまでは、当時は知る由もなかったのです。

ちなみに、旭川滞在中の劇団員の宿も田中美好の実家。
その時知ったのですが田中のお父上は書の大家、性格もユニーク(過ぎ)で、色々な点でなるほどと納得させられるものがありました。

なお、芝居では田中は「時計店勤務研究員・樋口るみ」を演じ、竹貫香が演じる東京ピン子、佐藤ルカが演じる松原悦子と、職場=時計屋内における主導権争いを展開します。
このあたりは下らないやり取りを書かせたら右に出る者はいない(と私は思う)斎藤歩の真骨頂で、「時計」という(それ自体強引な)共通点がある以外はなぜ存在しているのかすら不明の、絶妙に面白い挿入劇でした。

*

そしてもう1人、綺麗な顔立ちという以外は特に何の変哲もない(と当時は思っていた)林千賀子という女性がほうぼう舎に入ってきました。
今や北海道の演劇の中で確固たるポジションにいる彼女ですので多少遠慮無く書かせて頂くと、最初のこの芝居では、声は出ない・動けない・表情は硬いと、3拍子揃っており、本当にどうなることかと思ったものです。
しかし上述のとおり、彼女はその後恐ろしいほど変化を遂げていき、北海道演劇財団主宰の劇団TPS→札幌座でいまも活躍しています。

*

この芝居は、そこだけに明かりがあてられた花道を往来に見立て、登場人物が"顔見せ"を兼ね順に往来して行くというシーンから始まります。
このため、バックに流すテーマ曲が非常に重要となりました。
斎藤からのオーダーは、ズバリ「B級歌謡曲」。なるほど!その着想、グッときますね。
その頃裏町あたりでは 時が色褪せ落ちていった
その頃裏町あたりでは 時がしみ込み消えていった
 ポン引き達のつぶやきが 何やらたばこをもみ消して
易者は女の白い手に 終わらぬ悲劇を握らせた
  それでも時は降りてきた 砂にまみれて降りてきた
  それでも夜の裏町は 砂のむくろにおびえてた    >♪砂時計
この時、私は官庁試験の採用面接で東京に飛ぶ前夜で、徹夜で曲を書き、弾いて仕上げ、早朝飛行機にギリギリ飛び乗りました。その辺のシチュエーションが既にB級。
ボーカルはもちろん斎藤歩。彼の歌声は悲しいまでにコンセプトにマッチし、負けじと私のギターも、時に悲しく、時に鋭く、ツイン・ギターで光り輝いたのです。 無論、B級に!

*
そして1幕、舞台上から砂が舞台にひたすら落ちるシーンへ。  >♪砂の落ちる音
*

桜太郎はこの芝居でも往来の歌手として出演していますが、第2回公演・星影の円舞曲で「星を数えて・・・」と歌って以降 基本的に各公演で芝居のテーマとなる曲を歌っていくことになる、私にとって大切な役者でした。
夜の公園のぶらんこがねえ
 キーコ キーコ キーコ キコ
  なんて私らしいのだろう
水たまりには糸ミミズ
 キーコ キーコ キーコ キコ
  なんて私らしいのだろう   >夜のブランコ
歌を歌うという以前にその演技自体が私は好きでしたが、味のある歌を毎回歌ってくれたのでした。

*

「砂時計」は巡業公演を終えた後、札幌に戻り、凱旋公演を行っています。

その昔、札幌駅前に「五番館」という老舗のデパートがありました。
百貨店業界にいた友人によると、札幌は全国の中でも突出してデパート数過多の街らしく、確かに91年当時の状況を思い出しても、駅からすすきのまで歩くまでに、 故そごう、東急、五番館、丸井、マルサ、長崎屋、池内、三越、四プラ、パルコ、コスモ、ロビンソン・・・と林立しています。
加えて地下街や狸小路などもありましたから、商売の大変さも想像できますね。

で、その中でも特にヤバそうだったのが件の五番館。
創業時の電話番号が5番だったから五番館だったと記憶していますが、老朽化も進んでもはや時間の問題かと思っていた時に、 当時札幌未上陸だった西武百貨店が吸収に乗り出しました。
「五番館」という名前は実に魅力的でしたから、それが無くなるのも寂しいと感じていたのですが、そういう声にも配慮があったのか、「五番館」はその3文字を残して「五番館西武」となり、一気に駅前のデパート戦争の主役に躍り出たのです。

この「五番館西武」の最上階に、当時はその数年前にできた本多小劇場以外なかった劇場主体の多目的ホール「赤レンガホール」ができました。 企業の文化活動、いわゆるメセナというヤツですね。
で、どういう経緯だったか記憶が定かではありませんが、この赤レンガホールから御指名を頂き、「砂時計」は巡業公演の凱旋と銘打って最後にもう一度札幌で2日間の公演を行ったのでした。
「砂時計」はとても好きな芝居でしたので、巡業から帰って、もう1度札幌で打てるということが非常に嬉しかったのを記憶しています。

時に91年は橋本が大学院の2年生だった頃。
こんなことばかりやっててよく卒業・就職できたものだと、胸をなで下ろさずにはいられません。


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