Theater Archive
 大通公園テント芝居
1994年 ストラヴィンスキー祭文
1995年 花札伝綺
1996年 百億年の空
1997年 闖入者
1998年 サーカス物語(→バレン座)
 
1994年公演 ストラヴィンスキー祭文

1994年(平成6年) 9月17(土)
 札幌市中央区大通西8丁目 大通公園特設テント
 藤川志郎
照明 おもしろ舞台 高橋正和 安田慎
美術 田中美沙 僧都一根 若原香
美術製作 福田恭一
宣伝美術 三宅剛 佐藤ルカ
音楽 橋本幸
オルガン清水穂高
役者 京極圭 梅津美星子 紅千鶴 鈴木志保 佐藤真由美 永利靖 林千賀子 河内哲二郎
(クレジットは公演当初のポスター・ビラ等に記載のもので、その後の加入・交替等を反映していない場合があることを御了承下さい)



ストラヴィンスキー祭文(すとらう"ぃんすきーさいもん)

札幌ロマンチカシアターほうぼう舎で「俯しのビアホール」を打った92年、私は仕事で室蘭市に移り住み、計4年を過ごしたのですが、この92年のある日、私の部屋に須藤綾子という女性が訪ねてきました。

当時住んでいた職場の独身寮において、自分の部屋は少々変わった位置にあり、寮本体と少し分離した「離れ」のような場所に位置していました。
このため両隣を気にしなくて良いという「地の利」があり、私の部屋はほどなく溜まり場となって無法地帯化しました。

独身寮なんてそもそも無法地帯ですから、そういう意味では言わば無法の2乗で、毎晩深夜まで様々な人が入り乱れて、飲んだり騒いだり笑ったり泣いたりしていたのです。
職場が近かったため昼休みなどにちょっと部屋に戻ったら、同じように戻った寮生や友人の女性達が私の部屋で普通にくつろいでていることも多々ありました。

須藤綾子は当時こうして出入りしていた寮生の「友人の友人」で、訪ねて来た時が初対面でしたが、快活でチャレンジ精神に溢れる素敵な女性でした。
彼女は当時札幌市が大通公演で主催していた市民イベントに関わっており、そのイベントに演劇の公演を組み込もうと企てていた中で、ほうぼう舎の人物がこの寮に住んでいる事を人づてに聞き、相談にやってきたのです。

「北大演研」のページ>>にも書いたとおり、大学の構内に大学当局と大モメにモメながらテントを張って芝居をやっていた頃、「大通公園みたいな街の真ん中にテントでも建てて派手にやりてえなあ」なんてことを思ったもんです。

それがひょんなことから今、大通公園で芝居をやらないかとオファーを受けている私。
結果として自分達は、その後5年にわたり札幌大通公園という街の真ん中でテント公演を打つ機会を得るに至るわけですが、それはひとえにこの時の須藤綾子の発案と熱意と行動力の結果であります。

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この芝居の台本は藤川志郎。
最初に会った時ほうぼう舎にスタッフとして手伝いに来てくれた気の良い後輩という感じで、その彼に素晴らしい戯曲を書く能力が宿っていることなど、 当時は知る由もありませんでした。
その後彼は北大の演研を率い、さらに「阿呆サーカス」という劇団を自ら旗揚げして、コアなファン層を獲得する人気脚本家となっていきます。
私達はその藤川に、この大通公園テント芝居のための作品書き下ろしを依頼しましたが、"足踏み式のオルガン"という道具を上手く使った、幻想的な物語を展開させてくれました。
タリラリラッタラリーラー
タリラリラリラッタラリーラー
タリラリラリラッタラリーラーリーラーラー  >♪タリラリラッタのテーマ
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主演の京極圭を初めて見たのは北大演研の公演で、虫かごを持って色白の線の細いヤツが出てきた時はまた面白いヤツが現れたもんだと嬉しくなりましたが、この芝居でも主人公・イエモンを好演。
翌年の「花札伝綺」にも出演した後、東京へ出て、佐藤B作さんの東京ボードヴィル・ショーに入団し、今日まで精力的に芝居を打ち続けています。

この芝居には同じく不思議系の河内哲二郎もおり、彼もまた上京して名門「黒テント」に入団していきます。

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この芝居ではじめてお会いした高橋正和さん(照明)と福田恭一さん(舞台)は、既に名の通ったプロのお2人で、技術も仕事の早さも凄いもんだと感心しましたが、これ以降現在もコンカリーニョや住民劇でお付き合いして頂いていますから、もう20年以上。縁というのは良いですね。
ちなみに高橋さんはこの時の縁がきっかけで琴似の倉庫に関心を持ち、ほうぼう舎の消滅と入れ替わるようにフリー・スペースとしての運営・経営を企画。現在の「ConCarino」>>へと続いていくこととなります。ますます縁ですね。


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